半農半菓
ポレポレ
2003年12月16日
「ポレポレ」。
それはケニアでよく聞く言葉。
「ゆっくり、ゆっくり」という意味です。
あの国の人たちは、よくこの言葉を使います。

ここに住み始めてから、隣町、田布施の店まで、自転車で通うようになりました。
「いってらっしゃーい。気をつけて食べられてくるんだよーー!!」
毎朝、子どもたちに見送られながら、出発します。
最初の一ヶ月は、何を言ってるのか、さっぱりわかりませんでしたが、どうもジャムおじさんがアンパンマンを送り出すときに言うセリフらしいのですが・・・。
山ですから、行きは下り坂、すーいすい、30分の道のりです。
ちなみに帰りは折りたたんで、車の後ろにのせて、これまたすーいすい。

最初は、温暖化防止のために少しでもガソリンを使わないようにと思って、自転車に乗り始めたのですが、そのうち素敵なことに気がつきました。
気持ちがいいのです。
花のにおい、鳥の声、風の音、道端に咲く小さな花に心を奪われます。
道中のいろんな生命の息吹が聞こえてきます。
今この瞬間に心が集中します。
そして、この世界は、いろんな色、音、香りに満たされたすばらしい世界なのだと思い出すのです。

それまで車に乗ることがほとんどの生活でした。
車に乗っていると、風景は流れ、車内の音とにおい、そして振動を感じるだけです。
事故のないように無意識に四方八方に気を配ります。
そして頭の中は、目的にむかって急ぎ、ものごとを計算し、計画し始めます。
そうして目的の場所にあっという間に到着し、私たちは次の用事へと進みます。
そこには感動も喜びもありません。
ただ事が流れていくだけです。
でも、ゆっくり走ると、常に常に、驚きと発見と感動、そして安らぎがあるのです。
歩けば、もっとでしょう。
(さすがに10キロの道のりを毎日歩こうとは思いませんが・・・)

同じことを、薪ストーブを焚いているときにも感じます。
石油や電気のストーブと違って、暖かくなるのに時間がかかりますが、
火がゆらゆら揺れるのを眺めていると、時のたつのを忘れてしまうのは、なぜでしょう。
そしてなぜだか心が和むのです。

また、稲刈りをするとき、機械で刈れば早く済むのですが、なんとも味気ないものです。
だから僕はいつも手で(というか鎌で)刈ります。
ふと手を休めると、足元のたくさんの小さな虫たちの世界に気がつきます。
機械で刈れば、一瞬のうちに、キャタピラの下につぶされる世界です。
しかし、そこには一匹一匹のいのちの営みが見えます。
その下には、目に見えない微生物の世界がひろがっていることでしょう。
そんないのちの営みの上に、稲が育ち、僕が立っている。
言葉には表せない喜びが湧き上がってきます。
うれしくて、たのしくて、しょうがないのです。
はやく、たくさん採ることをよしとする価値観の上に立てば、なんともこの上なく、遅々とした作業かもしれませんが。
うちに稲刈りにくる人たちの多くが、心地いいと感じて、
自分たちもやりたいと思うようになるのは、そのためかもしれません。

人は休日になると、どこかへ出かけ、あるいは体を休め、
「あー、リフレッシュした!」「あー!満たされたー!」といいます。
しかし、ということは、日常はフレッシュでないのでしょうか。
満たされていないのでしょうか。
車と自転車との比較は、私たちの社会の姿を映しているような気もします。

自転車でゆっくりと走りながら、僕は思います。
私たちは、少しでも楽に、少しでも早く、少しでも便利にといろいろなものを創りだしてきました。
そして、昔から比べれば夢のような物の豊かな暮らしになりました。
でも、なぜか皆、「まだ足りない」と頑張っています。
何が足りないのでしょうか。
結局、「幸せ」に足りていないのです。
私たちは、豊かになりたかったわけではないのです。
ただ、幸せになりたかっただけではないでしょうか。
幸せを見失ってしまったから。
幸せが何なのか、わからなくなってしまったから。

心の隙間を埋めるために、私たちは、常に新しいものを求めるようになりました。
常に、目的をつくって、そこに向かう計画を立てるようになりました。
そしてそれを成し遂げた達成感、到達感で、隙間を埋めようとするのです。
でもその喜びもつかの間、私たちは次の目標へとせきたてられます。
あそこに行けば・・・、あれを手に入れれば・・・。
そのためには、今これをしなくちゃいけない・・・。
そうして創りあげてきたものを、失うのが怖くて、自分の心が悲鳴を上げていても、自分の思いと違うことを、自分に強いるのです。
今、目の前で、子どもが心を求めていようと。
本当は、こんなことをやりたいと思っていても。

10代・・・。
20代・・・。
「何かが違う」といつも思っていました。
「足りないもの」を探して探して・・・、
気がついたら、地球の裏側でした。
長い長い旅でした。
でもケニアで、忘れ物がどこにあったのか、思い出すことができました。
探していたものは、どこにでもあったのです。
探す必要なんてなかった。
幸せの青い鳥は、いつも自分の肩に止まっていたのに。
私たちが、足を止めさえすれば。
遠くを見ずに、今ここに意識を合わせさえすれば。
いつもその中に包まれていたのに。

ポレポレ・・・。
それは素敵な言葉です。

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