半農半菓
意識的に生きる(19)  〜腐っても鱒(ます)〜
2008年5月15日
「腐っても鯛(たい)」。
魚の中じゃ、鯛がいいようにいわれてるけど、
意識的に生きるためには、「たい」より「ます」のほうがいいみたい。

「〜したい」「〜なりたい」とみんな心の中に願望を持つけど、たいていそうならない。
「〜たい」って云ってる限り、いつまでたっても「〜たい」と思う状態を創るから。
つまり、そうなってない状態だ。

だからって願望を持つなってわけじゃない。
願望は人の自然な感情だ。

願望を実現する人としない人。
観察してたら、決定的な共通点を発見する。
実現できない人は「〜たい」って言葉を出し、
実現していく人は、「〜ます」って言葉を出す。

不思議なことに、
「〜する!」「〜なる!」「〜します!」って決めたとたん、
そして言葉に出したとたん、動き出したとたん、
そうなっていくための材料となるきっかけが創造され始める。
縁が集まり始める。
気を変えない限り。

「店を変える」って決めたとたん、
今の材料を作ってくれる農家やいろんな方との出会いが始まった。
「伝える」って決めたとたん、
講演の話が向こうから来るようになった。
「自然な暮らしをする」って決めたとたん、
今の場所と出会った。
もちろん、「とたん」といってもだいぶんタイムラグはあるのだが・・・。

なかなか思うようにならなかったり、
現実の変化に閉塞感を感じるとき、
「〜たい」って思ってないか、チェックしてみることをお勧めする。
もしも、「〜たい」って思ってる自分を発見したら、
意識的に言い直そう。
言い替えよう。
できれば、声をだして。
「〜する!」「〜なる!」「〜ます!」
その瞬間、宇宙には、そうなってる状態へのすべてが創造される。
忘れないでいたいのは、今という瞬間の中に未来も織り込まれてるってこと。
意識どおりの。
そう、だからもっといいのは、
「〜なって、ありがとう」とかの完了形と感謝の形。
僕らがその意識からぶれない限り、時間軸に沿って、その現実は確実に現れる。
ぶれなければ、ね。
僕らがヴィジョンを描いた瞬間、今はたとえ姿もなくても、すでにまだ来ぬ未来軸の空間にそのヴィジョンは存在するのだから。
フラットランドに現れるボールのように。

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