半農半菓
アフリカで見た夢
2003年11月18日
人はもっとシンプルに生きられるんじゃないだろうか。

数年前、1年間ほどケニアにいた。
そのときに昔ながらの自給自足の村に滞在していたことがある。

緑豊かななだらかな山間に点在する村。
自分たちで作った土壁と萱葺きの家。
朝、日の出とともにニワトリの声で目を覚まし、すがすがしい空気をからだいっぱいに吸い込みながら散歩する。
搾りたてのヤギの乳でつくったミルクティーで、ゆったりとした朝食。
畑に出て、種を蒔き、刈り入れをする。
皆で歌を歌いながら、おしゃべりしながら、笑いあいながら。
傍らでは子どもたちが楽しそうに木登りして遊んでいる。
一汗かいた後に吹く一陣の風が幸せを運ぶ。
ヨーグルトをつくる人、炭を焼く人、ケーキをつくる人……。
それぞれが得意なことを受け持って、できたもの、あるものを皆で分け合って生きている。
おなかいっぱい夕食を食べ、見上げると満天の星空が浮かぶ。
焚き火を囲みながら、歓談の時は続く。
おばあちゃんに抱かれながら、一番小さな子は眠りについていた。
ここの人たちは、こうやって何千年も生きてきた。
太陽と水と風と大地と、そして家族や仲間たちとゆったりくつろぐ時間。
これだけあれば充分だったじゃないか。
幸せだったじゃないか。

この星の裏側、日本のことを想う。
いつの日からだろう、私たちが風のさわやかさを忘れたのは。
種が芽を出したときの生命の神秘さを、ヒナが生まれたときの感動を忘れたのは。
時間ってこんなにも悠々と流れているのに、海の向こうでは時間がない、ないとぼやく。
子どもとゆっくり向き合うこと以上に、今しなければならないことってあるのだろうか。
お金をもっともっと稼がなければ、私たちは生きていけないのだろうか。
森がすべて切り尽くされたときに初めて、空気の大切さに気づくのだろうか。
飲める水がなくなって初めて、水がなければ生きていけないことに気づくのだろうか。

勇気を出して、立ち止まってみよう。
もう一度考えてみたい、本当の豊かさって何なのか。

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