JOMONという名の未来
2009年1月25日
「縄文」と「弥生」。
人の歴史は大きく分けてこの2つに分類されると思う。 「弥生」とは歴史のいう弥生時代だけでなく、その延長線上にあるこの2000年の人類の営み。 それは、自然を、人を、都合のいいように変え、征服し、支配する文化。 少しでも便利に、少しでも快適に、少しでも効率的になるように、 物を作り、加工し、発達してきた文化。 物質的な富と繁栄を追い求めてきた時代。 それは常に、競争し、奪いあい、持つ者と持たざる者、支配するものとされるものを生み出してきた。 特にこの数百年、数十年とそれは加速度的に進み、 今まさにその極にあるといえるだろう。 それが今の世界の姿…。 イラクもパレスチナもそのほんの一部分。 対照的に、「縄文」とは、自然を敬い、自然と共生する文化。 かつて1万年以上続いてきた人の営みのあり方。 互いに相手を認め合い、分かち合い、話し合いと扶けあいをルールとして動く社会。 縄文といえば、粗末な服に身を包み、石などの道具で狩猟採集生活を送っていた未開の文明…。 そんなイメージを教科書で刷り込まれてきた僕らだが、最近の調査、発見により、縄文の歴史はどんどん遡り、その文明は思っていた以上に高度だったことが判明しつつある。 それも不思議なことに、時代を遡るほど…。 そして世界各地には、「縄文」の影を色濃く残す先住民族の社会がある。 「弥生」と「縄文」。 物質文明と精神文明。 競争と共生。 支配と調和。 左脳と右脳。 論理と直感。 「縄文」から「弥生」へ、それは、右に振り切った振り子が左へと振れ始めたとき。 そして「現代」、 振り子は左に振り切り、その方向を見定めようとしている。 では、これからくる時代とは? また「縄文」へと戻るのだろうか。 僕は「縄文」と「弥生」とが統合していく時代になると思っている。 「縄文」 それは人と自然とのハーモニー。 人と人とのハーモニー。 その「縄文」の精神の基盤の上に、「弥生」のテクノロジーが乗っかるとき、 はじめて人は、この混迷の星とともに次のステージへと進めるのだろう。 それは「弥生」の極にいる僕たちが、「縄文」の智慧を思い出していくことによって、 創り出していくもの。 よみがえらせていくもの。 エネルギーも食料も、そこにあるもので、快適に生きていくための知恵、技術。 環境問題も食糧危機も生まない生き方。 永続可能な暮らし方。 そのヒントは、縄文、古代、先住民族…、 そんな中に隠されているのかもしれない。 |