半農半菓
意識的に生きる(29)   〜Fusion(融合)〜
2009年9月26日
「ある問題を解決するのに、その問題と同じ次元の考え方では解決できない。
問題を発生させたのと同じ集合意識のままでは、真の解決法は見つけられない。」
                            ――アルバート・アインシュタイン―――

僕らのまわりには、たくさんの問題があります。
戦争や貧困に始まり、夫婦喧嘩にいたるまで。

問題を知ったり、出会ったりすれば、誰だって解決したいと思います。
でも、世界から問題がなくなったためしはありません。

「個人の体験する現実は個人の意識がつくっている」
もし本当にそうだとしたら・・・。
それを確かめたくて、この10年、僕の身の回りで起こるいろいろなことに向かい合ってきました。
僕のありたいあり方を創ってきました。
このブログの中で描いてきたように。
そして、ある頃から、それはすでに確信に変わっています。

では、もっと大きな出来事は?
戦争や、六ケ所、基地問題、・・・。
ここ上関の原発誘致。

この物理的な世界をつかさどっている法則は、きわめてシンプルなはず。
個人の体験する現実が、個人の意識の結果なのならば、
集団の体験する現実は、きっと集団の意識の結果なのだと思います。
地域としての、民族としての、人類としての集合的な意識の結果が、
この社会、この世界。
http://www.oh-shita.com/slowlife/blog/157.html

僕よりは、はるかに真剣で、思いが強く、パワフルなたくさんの人たちが、
今までも、今も、これらの問題にそれぞれ取り組んでいます。
改善された部分や、解決された事例もあるでしょうが、
多くは、今も続いています。
そのほとんどの地域では、賛成派と反対派に別れ、対立が続きます。
たとえ、どちらかが戦いに勝って、争いは終わったように見えても、
住民の心の中に残ったしこりは続き、その火種がまた新たな対立を引き起こす。
それはとても悲しいこと。

国同士の戦争から、今朝の夫婦のけんかまで、
その根底にある構図は一緒です。
こちらは正しい、あちらは間違っている。
そこにあるのはいつも、価値観の対立です。

こちらとあちら。
いいと悪い。
正義と悪。
正しいと間違い。
無意識にこちらとあちらをつくってしまう私たち。
対立と分裂と。
その集合意識の結果が、この世界に表れた形が、
戦争や、原発や六ヶ所、その他のさまざまな問題なのだとしたら。

今ここらは上関の原発問題で揺れています。
興味深いことに、核兵器や原発のエネルギーとは、分裂のエネルギーです。
ウランに中性子をぶつけて核分裂させたときに出る膨大なエネルギーを使います。
人々の日々の対立や分裂の集合意識の結果が、
核や、原発の姿となってあらわれているのかもしれません。

だとすれば、僕らが願う核や原発のない世界は、どうやったらできるのか。
アインシュタインの言葉を借りれば、
それを解決するのに、対立や分裂、闘いの意識を持ってしてはうまくいかないことになります。

対立の意識から、創られるのは、対立する対象です。
断固として闘うといえば、闘う対象そのものを創造しているのかもしれません。
止めるという意識が、敵を創造しているのかもしれません。
強く思えば思うほど。
何度も何度も唱えれば唱えるほど。

闘うと決めれば、闘えるでしょう。
止めると決めれば、止めれるでしょう。
でもそれは同時に、闘う対象、止める対象を生みだします。
強く思えば思うほど。
こちらがエネルギーを増せば、相手もエネルギーを増します。
この世界は、プラスを作れば、同じだけマイナスができるようになっています。
勝つために、守るために、結束すれば、その結束の強さに比例して敵の勢力も同じだけ強くなる。
そんな戦いがいたるところに見られます。
でも、阻止行動、反対運動があったからこそ、その計画の進行を止めることができているのも事実。
そんな方々の、想いと行動と勇気があったからこそ、世界が、問題が、今くらいで済んでいるのだと思います。
ほんとうにありがとう。
けれど、そこから先に、解決になかなか進まない、こう着状態がずっと続いているとしたら、
僕らはそろそろ次のステージに進む必要を求められてるのかもしれません。

戦いが延々と続けば、
ある者は疲れ、
ある者は、あきらめ、無力感におそわれ、
ある者は、孤立し、
ある者は、さらに憤り、戦い、
どちらかが勝ったとしても、負けたほうは、恨みや憤りややるせない感情を心にしまいこんだまま、
ネガティブな分裂の感情のスパイラルは、深い闇へと続いていく。

原発よりも戦争よりも、なによりも哀しいのは、
そんなふうに人々の感情が壊れていくこと。
人の中の想いが、
人と人とのつながりが、
地域のつながりが、
引き裂かれていくこと。

もし、闘いという言葉を使うとすれば、
僕は、その分裂とこそ戦いたい。
僕らを引き裂いているその力と。

そしてそれは、たぶん僕たち一人一人の心の中にあるのです。
その戦いは、台所にいても、職場にいても、反対運動のさなかにいても、できる戦いです。
比較し、裁き、決め付け、レッテルを張り、思い込む、
そして僕らをばらばらへと導く
僕らの意識の中に深く植えつけられたものとの戦いです。

核や原発が、分裂のエネルギー、僕らを破滅へと導くものだとすれば、
太陽のエネルギーは、核融合。融合のエネルギーです。
生命を生み出し、育むもの。
違う者同士が融合し、新しいものを生み出す、この宇宙や自然界のいたるところにみられる生命の仕組みです。
男と女が融合して、子どもができるように。
プラスとマイナスが働いて、電気を生み出すように。

この二元性の世界は、不思議なパラドックス。
よく考えてみると、
こちらをつくらない限り、あちらは生まれません。
良いを判断しない限り、悪いは生まれません。
これが正しいと思い込まない限り、間違ってる人は生まれません。
本当は、どの人も、その人の価値観に照らし合わせれば、最善のことをしているのだと思います。

人の想いはそれぞれです。
想いに上下、いい悪い、優劣はないはず。
自分の考えのほうがいいから、人も相手もこうすべきだ、という視点からの言葉や行動からくる
ちょっとしたすれ違いの延長に、今のいろいろな混乱があると僕は思ってます。

ほんとうに今目の前にあることを解決の方向へもっていきたいなら、
どのような人と向かい合うときも、その人の考えと価値観に最大限の尊敬と愛をもって、
向かい合いたい。

相手の立場、状況、価値観にたってみる。
想像してみる。
寄り添ってみる。

そんな視点に立てた時、
僕らは別のステージにたちます。
こちらとあちらが消えるのです。
こちらとあちらが融合するとき、不思議なことがおこります。

その視点にたってみると、僕らは相手を心の底から受け入れることができます。
出す言葉の波動が変わり、まなざしが変わる。

そのときはじめて、相手の心は開かれます。
こちらの言葉が、想いが相手に届きます。
相手の思いも、こちらの心に届きます。
はじめて本当の、心と心の会話ができるようになります。

僕の経験の中で起こってきたことは、また別の機会に書きましょう。

だけど、それはできるのです。
壊れかけていた関係を取り戻し、
ばらばらになりかけたものをつなぎ、
凍りついた心を溶かしていく。

世界中で、または身近でおこっている何かの問題を知ったとき、
何とかしたいと誰でも思います。
でも遠方だったり、日々のことで時間がとれなかったり、
そして物理的にもどれにもこれにも係ることもできません。

でも分裂の意識が、すべての問題の根っこにあるのならば、
僕らの日々の意識の集合の結果が、この世界なのならば、
なにも無理せず、できることが山ほどあります。
比較し、裁き、決め付け、レッテルを張り、思い込む、
そして僕らをばらばらへと導くその意識に気づき、違う次元のものへと変えていく。
今ここから、
自分から。
日々、一瞬一瞬、
今日出会う人との中で、
夫婦の中で、
親子の中で、
職場の中で・・・。

そしてそれは、いろいろな問題と直接向き合う、行動のさなかにおいてもできるのです。
いえ、そんな行動にこそ、必要な意識なのかもしれません。

相手の立場、状況、価値観を理解し、受け入れながら、自分たちの意見を伝える。
自分たちの価値観の押しつけにならないように、でも堂々とメッセージを書く。
相手への最大限の思いやりと尊敬をもって、自信をもって行動する。

僕らが、今よりもほんの少し、
お互いを理解して受け入れることができるようになったとき、
きっとこの世界から、いろんな問題が消えていることでしょう。

分裂から、融合の時代へ。
僕らが待ち望んでいた世界へ。
世界は変わりつつあります。

その最後のドミノは、今日の自分の意識の変化かもしれません。

そういえば、ドラゴンボールZも、たしか終りのほうは「Fusion」してたなあ。
行き詰った展開を打開して、次のステージに進むには、
Fusionしかないのかもね。

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