半農半菓
ほめない、しからない
2009年12月18日
さて上から10歳、7歳、4歳、2歳、
子育てど真ん中、どたばたの我が家。

子どもはほめて育てたほうがいいか、しかって育てたほうがいいのか、
議論の分かれるところだと思うが。
僕自身、大人になっていく過程の中で、
しかられてばかり、否定されてばかりで育つとどういう風になっていくかをみてきた。
だから、自分が親になったときは、子どもたちを否定しないように、ほめてほめて育てようと思っていた。

しかし、長男、長女とほめてほめて育てて行く過程で気がついたのは、
意図的にほめてばかりだと、ほめられる=いい事、ほめられない=よくない事という意識をうえつけてしまったのではないかという事。
ほめることが、期待に答えることへの「条件づけ」になっていき、
いわゆる「イイ子」を無意識に演じさせ続けることにつながっていく。
「イイ人」「イイ嫁」「イイ社員」・・・。
無意識にかぶっていく仮面の裏側にたまっていくストレスは、どこかで爆発し、発散されていく。
気付かず生んでいくネガティブなスパイラル。
気づいてもそこから抜け出していくこと、自分を解放していくことがどれほど時間のかかることか、
僕自身がよく知っている。

子どもたちのためを思って、しかること、ほめること、そのこと自体がいけないわけではないと思う。
でも、しかることに傾きすぎても、
ほめることに傾きすぎても、
なにかのバランスが狂っていく。
僕たち大人は、一度、自分自身の行為の裏側にある意識をチェックしてみたほうがいい。
自分の価値観で子どもを支配しようとしていないか、
子どもを教え導くという教育観、○○教育という考え方にとらわれすぎていないか。
子育てはこうあるべき、大人はこうあるべきという概念をにぎり過ぎてないか。
価値観を持つことがいけないわけではない。
が、自分の価値観をにぎり過ぎ、それ以外のものを無意識に否定しているなら、
否定したものを引き寄せる。
それは子どもの姿や、状況となって・・・。

大切なことは、目の前の子どものありのままを、ただ認めていくことなのかもしれない。
「認める」「受け入れる」というのは、「ほめる」とは明らかに違う。
善悪を交えず、ありのままの子どもをうけとめているだろうか。
子どもの「今」を忘れて、「明日」にとらわれていないだろうか。

子どもたちと向き合いながら、自分に気づいていく。
子育ては親育ちとは、よくいったもんだ。

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