半農半菓
はたらく
2022年2月13日
スタッフに応募して神戸から先週3日間体験に来てくれてたHくん。
最後のスタッフの振り返りミーティングで、こんなことを言ってくれた。
「この3日間で、僕の中で“はたらく”という概念が変わりました。
スタッフの人たちの、心の底から楽しそうな顔。
本気で遊びきってる姿。
僕の父はサラリーマンで、疲れた顔しか見たことがなかったから。
でも、ここの人たちの日々の姿は、
僕が思っていた仕事とか働くというイメージとは、まったく違うものでした。」

とってもうれしかったなあ。
「“はたらく”とは、はたはたを楽にさせること」
昔、そんな話を誰かから聞いたことがある。
僕流に解釈すれば、
自分の好きなこと、得意なこと、ありたい形を表現して、
それがまた誰かの役に立つことで、成り立っていく社会。
そうやって自分のありたい形が誰かの喜びとなり、自分の喜びとなっていく社会。
ケニアのあの村で、そんな社会を垣間見た。
僕の中で、
仕事とはこんなものだ、
家を手に入れるにはこうするしかない、
お金を稼がなければ幸せにはなれない、
そんな日本でインプットされた思い込みが瓦解した瞬間。
それが、僕が大きく変わった瞬間だった。
未来の地球は、そんな社会になっていると思う。
そしてそれは、今の日本の社会の中でもできるはず。
そうやって、創ってきた今に触れて、
今日また一人の心の中で、何かが変わったんだ、
そう思うと、本当にうれしかった。

今、うちのスタッフはみんな、
喜びとして、
あるいは好きなこととして、
あるいは、自分のしたいこととして、
毎日であったり、週に数日であったり、この場をともに創ってくれている。
はず。

“はたらく”というより、“共に創ってる”。
お金は目的ではなくて、そこに付随してみなで分け合っている分配物でしかない。
だから、給料袋ではなくて、封筒には毎月「お礼」と書いている。
僕は社長でも経理でもなく、ただ単に、創った割合の分だけ平等に分け合えるように計算して分配する分配人だと思ってる。

ここで、“はたらく”大人をみて育った子どもたち、どんなに育っていくのかな。
少なくとも、はたらくこと、大人になることが、苦しい、大変そうなこととはきっと思わないはずだよね。

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