半農半菓
意識的に生きる(33)    〜キッチンスタッフを増やす〜
2022年7月18日
「よしみー、今日のご飯なに〜?」
朝のミーティングが終わって、外に飛び出す途中、
子どもがキッチン前で、一瞬足を止めて、声をかける。
なにげない会話が、場に温かみを添える。
食べるという行為に、感謝と深みを与える光景だ。

てらこやをスタートした頃は、てらこやにキッチンスタッフはいなかった。
子どもたちも十人ちょっとだったこともあり、経営上の判断からキッチンスタッフをおうちえんと別に配置するよりも、おうちえんのキッチンスタッフがまとめててらこや分も作り、子どもの当番がてらこやで配膳する、というスタイルがしばらく続いた。
が、やっぱり、隣とはいえ別なところで作られた料理が運ばれてくるというのは、味気ない。
作り手の顔も姿も見えず、料理中の音もにおいも届かない。
料理の中のどれがうちでとれた野菜で、どれが○○さんがくれた野菜かもわからない。
それ以上に、空間の中に料理をする姿があることでの安心感、ぬくもり、食事とつながっている感覚が、おうちえんと違うなあとは思っていた。
開校当初から思っていたことではあったが、スタッフの給料をまわすのでギリギリだったため、もう少し子どもが増えないとキッチンスタッフは増やせんなあと漠然と思いながら2年が経過していた。
しかし、3年目のころ、子どもたちから食事に対する不平が聞こえてきたり、食べることへの感謝が薄いと感じることが幾度かあったりしたことで、
ますます空間の中に作り手の顔と料理中の姿も会話もないことのデメリットが、浮き彫りになってきた。
スタッフが食事の準備や片付けのフォローに入ることで、子どもたちとのプランの時間にしわ寄せがいったりということも、垣間見えたり。

キッチンスタッフがいたほうがやっぱ、いいなあ。
でも、人数が増えんとなあ。
でもまだ、てらこやのスタイルも確立してないから、外部に募集もかけれんしなあ。

なんとなく、最初の2年間、この二言、三言の組み合わせを、無意識に心の中で、繰り返してきたように思う。
3年目のある日、はっと気づいた。
あれ、俺また習慣的な思考に陥っとるやん!
できない理由をさがしてる。
○○したいけど、△△が足りない・・・・。
△△ができたら、○○をする・・・・っていう。

よくあるんだよな。
意識が現実を創ってると頭ではわかってるはずなのに、
何もないところから創るときには、意識的につくったはずなのに、
創って、始まって、それが日常になっちゃうと、
いつのまにかその日常に埋没しちゃって、
目の前のことにいっぱいいっぱいになって、
高い目標にフォーカスしていたはずなのに、
日々のフォーカスが、違うものに向かってること・・・。
お金がうまくまわるかとか、
スタッフや子どものあり方とか、
足りないもの、ギリギリに感じることに、フォーカスがいってる時間が長い。
金銭的なバランスは特にね。

自分にきいてみる。
てらこやの理想形としては、どうしたい?
キッチンスタッフがいて、毎日同じ空間で調理するのがいい。
なら、なぜそうしないか。
だって、キッチンスタッフを毎日置くということは、月8万円分、年間100万円分のプラスの経費がかかるから。
でも、今でトントンなのに、その余裕はない。
子どもが増えれば、収入も増えるけど、
まだてらこやのスタイルを試行錯誤中で、自信を持って、こんな学校ですといえる段階になく、外部の募集をかけにくい。
おうちえんの親も、ほんとうに勉強とか大丈夫なのかとかいろんな不安から、卒園しての入学を即決する雰囲気には至ってない。
つまり、スタッフを増やす経費に見合う収入の増加を見いだせないことからくる、
スタッフ増やしちゃうと成り立たなくなっちゃうんじゃないかという不安が根底にあるのが、しっかりみえてくる。
つまり、なにかが「足りない」という思考だ。
そして「足りない」という思考が、足りない現実を創造し、足りないからスタッフ増やしたいけどできないという状況につながっている。
創造のエンジンという誰もが常に使っている力を、ありたい方向とは逆に使ってるわけだ。
まあ、ほとんどの人がそうだけど。

現実創造のメカニズムはもうわかってるんだから、
気づいた時点でこっちのもの。
さて、逆転させよう。
じゃあ、もし、お金が十分にあるなら、どうしているか?
そりゃあ、キッチンスタッフすぐ入れるよ。
不安という幻想に打ち勝つには、行動が一番いい。
すぐにキッチンスタッフを入れることにした。
先に動くことにしたのだ。
“お金はあとからついてくる“という根拠のない自信をもとに。
(根拠はあるんだけどね、このブログ的な)
来月お金はまわるのかという不安にフォーカスだけはしないように、自分の意識に注意しておく。
キッチンスタッフがいてお金も順調にまわってるなら感じてるだろう感情に、
つまりなにも心配してない心境に、
今いるように。
厳密にいうと、そういう不安が浮かんだことを見逃さず、お金は十分にある、大丈夫という意識にすぐ塗り替える小さな作業は、ちょくちょくあったように思う。

そして「まず動く」というと、普通は
たとえば、補助金、クラファン、生徒を増やすための営業などなど、収入増のためのいろいろなアクション、収入を増やすプロセスのことを考えるだろうけど、
僕はそれさえも省く。
もちろんそれがいけないわけじゃない。
意識が現実を創っているなら、そのプロセスも省けるんじゃないかと思うだけだ。
そして、そこは宇宙にまかせたほうが、自分では思いもしなかったプロセスが現れて、面白いのだ。
といえば聞こえはいいが、なんでも面倒くさがる、なるべく楽したいだけの僕の本性の言い訳かもしれないけどね(^^)

現実創造の近道は、
こうありたいではなく、こうある!と決めた時点で、
その結果の位置に自分がいることだ。
その結果を経験しているときの心のありように、今いること。
そのときに感じているであろう感情に、今ひたること、味わうことだ。
そして一番大事なのは、それをころころ変えないことだ。
そうすれば、宇宙は思いもかけぬ方法で、思いもかけぬところから、その現実を、状況をもってくる。
気が付けば、その状況を体験してる。
現実に現れてくるタイムラグの度合いは、その人のこの法則への信頼度によるかもだけど。


さて、経過はどうなったか。
それまでの2年間、話がまとまった外部からの入学はなかったというのに、
キッチンのスタッフを入れて3か月たった夏、立て続けに4名の途中入学が決まった。
なんと、なんとだ。
もちろん、お金はちゃんと憂いなくまわった。
パチパチパチパチ。

「意識が現実を創る」
僕がなおいっそう、そのことに確信を深めた一つのエピソードです。

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