半農半菓
おひさまのあるくらし
2003年11月18日
ここに移ってから、お日様を感じる機会が増えました。

日曜の朝、我が家のお決まりは、縁側でのブレックファスト。やわらかな朝の光で暖められた杉板の気持ちよさは、言葉にできません。

子どもたちはここが大好き。
いつまでもごろごろ、ごろごろ。

縁側‥‥、それは不思議な空間です。
内でもなければ、外でもない。
内と外、陰と陽、光と影、‥‥。
その両方を併せもつ、ファジーな空間。
そのあいまいさが、なんだか心地いいのです。

寝転んで、お日さまの光の中に溶け込む瞬間、この偉大な恩恵を思い出します。
古代の人々がアマテラスとして祀った、その気持ちがわかるような気がします。

もうひとつの主役はソーラークッカー。
ソーラークッカ―というもの、聞いたことがあるでしょうか。
電気もガスも石油も使わない、火も使わないで料理ができる調理器、それが太陽熱調理器(ソーラークッカ―)です。
直径1m、BSアンテナのようなパラボラで、一点に太陽の光を集めて料理をします。
小学校のときにやった虫めがねで紙に火をつける、あれみたいな原理です。

実はこの道具、僕は最初はなめていました。
お湯が温かくなる程度のもので、実用には向かない、小学生の学習教材にちょうどいいくらいかなと。

初めて使ったときは、驚きました。
その直径1メートルにも満たないパラボラは、みごとに焼き芋をつくり、煮物をつくり、水をぐらぐら煮立たせました。
いちばん驚いたのは、目玉焼き。
フライパンを置いて、卵を割る。
ものの3分で、中が少しとろっとしたおいしい目玉焼きができました。
これは使える!!と、早速我が家の自然エネルギー計画に仲間入り。
玄米だって炊けちゃいます。
置いとけば湯が沸くんですから、空けとくとなんだかエネルギーを捨ててるような気がして、ずぼらな僕がせっせこせっせこ、こまめにお湯を沸かします。

僕がいたケニアのサバンナ地帯。
炭を買うことのできない人々は、日々の薪を集めるのに、多くの時間を使います。
なるべく近くで薪を集め終えたいと誰だって思います。
そして街を中心に、どんどん不毛の地が広がっていっていました。
日本にいるとなかなか実感できませんが、食べるための熱源は、死活問題なのです。
唯一ある資源は、さんさんと照りつける太陽。
ソーラークッカ―を安価に現地でつくって、広まれば、‥‥。
今、現地に一台送って試験中です。

思えば、今の時代のエネルギーは、この星の貯金を使い込んでいるといっていい。
石油、石炭、天然ガス、‥‥。
植物が光合成によって太陽エネルギーを取り込み、その植物が長い間に蓄積されてできたそれらは、古代の太陽エネルギーが形を変えたもの。
僕たちの祖先がこの古代の貯金を発見してから、人間という種の暴走が始まったような気もします。
しかし、いずれ貯金は尽きます。
そのときこの古代の太陽光線を燃やしてなんとか支えられてきたこの文明は、どうなるのでしょう。

古代の太陽エネルギーから、現在の太陽エネルギーへ。
ソーラークッカー、薪ストーブ、太陽光発電、水力発電‥‥。
永続可能な世界への僕の実験は、まだまだ続きます。

よく晴れた秋空の日は、空気も澄んでいて実はソーラークッカ―日和。
黒いケトルに水を入れて、待つこと30分。
しゅんしゅんとケトルが言いだします。

「お日さまのコーヒーが入ったよー。」
「はーい。」

今日も妻と子どもたちと、縁側で幸せなひとときを過ごします。

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