半農半菓
停電
2004年6月17日
先月だったか、うちの周辺で停電があった。
電気が止まること、一時間。
仕事の途中だったのだが、あらためて電気がないと何もできない状態なのだと考えさせられる。
ケニアで僕がいた地域では停電は日常茶飯事だった。
事務所周辺は一応電気は来ていたが、3日に一度は停電があり、ランプ生活を楽しめた。
電気はあれば便利ぐらいなもので、なくても別に困ることはなかった。
まあ、ワープロで作ってる最中の書類が一瞬で消えてしまうのだけは、涙がちょちょぎれたが・・・。
なにごとも、あれば便利くらいがちょうどいい。
あることが当たり前で、それしか知らなくなってしまった社会は危険だ。
仕事はできなきゃやめればいいが、生きることはやめれない。
水。食べ物。・・・
僕たちが生きるのに一番大切なものが、電気や石油なしでは手に入らない時代。
エネルギーの輸入が止まったときを想像してみる。
水道は、浄水場のポンプが動かなきゃ使えない。
川の水は、今では汚くて、飲めたもんじゃない。
水道が使えなきゃ、水洗トイレの家は最悪だ。
食料自給率30%のこの国は、輸入が止まれば、世界第一位の飢餓国家。
しかもその30%を支えているのも、石油で動く機械や設備で成り立つ現代農業。
スーパーから食料品が消えるのに、何日かかるだろう。
いったいどれだけの人が、あわてることなく日常を続けられるだろうか。

なくてもできるけど、あったほうが楽になる、それを便利というのだと思う。
それがないとなにもできないというのは、どうなんだろ。
生きる根っこを、誰かに握られた社会。
だから日本は、いつもどこかの国の言いなりになる。
世界がどう変わろうが、生きていける力、智慧、技術。
せめて水と食べ物くらいは、自前で調達できるようになっておきたい。
大事なことを思い出せる、停電もたまにはいい。
ほんとうの意味での自立、そんな社会を目指したい。
まずは自分のところから。

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