半農半菓
半農半菓
2005年11月12日
「半農半菓」
それが僕の当面の目指すあり方だ。
ケニアのとある村で、半日農作業をして、半日生業をする、そんなあり方で成り立つ社会をみた。
炭焼きが得意な人。
ヨーグルトを作るのが上手な人。
家を作るのがうまい人。
子どもと遊ぶのが好きな人。
それぞれが好きなこと、得意なことを受け持って、誰もが何かの役割をもち、それぞれが尊重される。
ゆっくりと流れる時間。
そこにはストレスという言葉はない。
海の向こう、日本とは対照的な世界。

なにもかもが空っぽの状態で帰国して、ただひとつだけ分かっていたことは、自分たちの食べるものは自分たちでつくる、そこから始めよう、ということだけだった。
実は最初からケーキ屋をやろうと思っていたわけではなかった。
久々に帰ってきた放蕩息子が久々に会った親父のあまりの老け方に愕然としたことが実は大きな理由。
いつのまに、こんなくしゃおじさんみたいになっちまったんだ・・・。
ショックだった。
僕の10代、20代の好き勝手が、こんなにも心痛をかけてたのか。
実際には、会ったのが夜で、総入れ歯を外していたから、くしゃおじさんみたいになっていただけだったのだが。
次の朝、会ってみると、歳の割には若々しいといわれる親父の姿だった。
でも、自分の親不孝をちょっと反省し、ケーキ屋も手伝おうと思った最初のきっかけだった。
よく考えてみれば、米作りとケーキ屋では忙しい時期が正反対。
ケーキ屋の忙しい時期は、秋からゴールデンウイークまで。
夏場は、暇。
夏と冬では、倍ほど仕事量が違う。
両立が成り立つ!
それなら、親不幸の罪滅ぼしも兼ねて、ケーキ屋もやろうかとなった。

考えてみれば、日本は自給的な生活をするための基盤が、完全にくずれてしまってることに気付く。
何をするにも、物事が金で測られる。
それは何をするにも金が要るということ。
物価は高騰しても、一次産業は低く見られ、農産物価格は低迷。
農業だけでは、みなと同じ暮らしは成り立ちにくくなっている。
自給的な暮らしを夢見て、農業収入だけで、日本でいう人並みな生活を成り立たせようと思うと、朝から晩まで働きつづけてもできるかどうか。
そこまでの思いも根性もない。
生活に必要なものを、何から何まで個人でやれば、寝る間もおそらくないだろう。
家族でやっても、どうだろう。
ほんとうに自給的な暮らしを、ゆっくりとした時間の流れの中で実現するためには、共同体が必要だ。
しかし、日本をあらためてながめてみれば、助け合う家族もばらばら、共同体もばらばら。
僕の理想とする社会のあり方とは、程遠い現実。

じゃあ、僕は生きたいあり方をあきらめるのか。
完全に行き詰まろうとしている日本のシステムに身を埋めるのか。
こうしたいと思うけど、現状がそれを許さない。
そんなことは、誰にでもしょっちゅうある。
どうしたらいいのかわからないときは、まずできるところから始めることだ。
それは妥協ではなく、目標への現実的な1ステップ。
大きな一歩を踏み出すとこけやすい。
バランスをとりながら、行きたい方向への足場を探りながら、進んでいこう。
僕にとって帰国後のこの6年は、そんな進み方だった。
その第一歩はケーキ屋をしながら、合間の米作り。
それがいつの間にか、裏作に麦をつくり、他の作物もつくり、家をつくり、子どもと遊び、・・・となってきた。
よく「店をやりながら、百姓もやり、忙しいでしょう?」といわれるが、実際はぜんぜんそうでもない。
どんどん、今という時間を味わえるようになってきた。
もちろん一人でやってたら、寝ずにやっても間に合わない。
だけど、家族の中で、仲間たちとの中で、いい循環ができてきたのだ。
2000坪ちかくある田畑の草刈は、父がやってくれる。
家に帰れば、家内の美味しい料理が並ぶ。
料理で使う野菜のほとんどは、母がつくっている。
他のケーキ屋に修行に行っていた弟が2年前帰ってきてからは、店の工房の方はほとんどまかせられるようになってきた。
店のスタッフの女の子たちも、もう3年、4年選手ぞろい。
僕がいなくったって、店は動いていくようになった。
僕は店をやりながら、田畑に立ったり、家を直したり。
今では、午前中は店にいるが、午後からは、長靴を履いてるか、地下足袋を履いてることが多い。
講演しに行ったり、人が訪ねてくればゆっくり話すこともできるようになった。

今の社会の問題を考えるとき、持続可能な社会のあり方への転換は、不可欠だ。
それにはまず、個人の暮らし方が、自給的なものに変わっていかなければならない。
しかし、今の仕事をやめて、全面的に自給的生活に移行するのは、冒険過ぎるし、おそらく今の社会ではそんなスタイルは成り立ちにくい。
自給的な暮らしを取り入れながら、最低限の金銭的な収入を確保する。
そんなバランスをとりながら進めてきたら、今の「半農半菓」というスタイルになった。
うちはたまたまケーキ屋だったから、半農半菓。
陶芸家だったら、半農半陶。
半農半教師。
半農半パン
半農半・・・・。
みんながそんなだったら、世の中ずいぶん住みやすくなるだろうなあ。
そんなことを考えていたら、「『半農半X』という生き方」という本があることを教えてもらった。
同じこと考えている人がいると思うと、うれしくなった。

「半農半X」。
それは兼業農家とは、根本的に違う。
Xは何でもいい。
農的生活を基本にしながら、自分の得意なこと、好きなことで必要な金銭も賄う。
そんなライフスタイル。
自然のリズムにあわせて、歩いてみる。
それは、とっても気持ちのいい歩み方。
今は少数派でも、近未来はスタンダードかもしれない。

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