半農半菓
かやぶき再生
2005年11月12日
去年の台風18号で、トタン屋根の飛んだ我が家。
現れたのは、古びたわら葺の屋根でした。
とりあえずテントをかけて一年間過ごし、今回やっとかやぶきに葺き替える手はずとなったのですが・・・。

明日から葺き替え工事が始まるという日になって、笑うに笑えぬ大きな誤解が判明しました。
あまりに笑えん話すぎて、やけくそ気味に大笑いしましたが。

1年前、台風で屋根が飛んだとき、瓦でなおしても、板金で直しても、100万かかるといわれました。
そして、かやぶき職人さんと話したら、茅1把が300円、全部葺くのに400把もあればなんとかなるだろうという話を聞きました。
職人一人一日1万5千円で4人で4日あればできるというので、
計算したら、足が出たって50万もかからない!!
それですむのなら安いやと思って、
しかも自然に帰るし、ゆうことないやと茅葺きにGOサインを出したのです。
(「台風一過」参照してください)

10月4日、須佐まで2トントラックで、茅を取りに行ってきました。
一束300円の茅だから、まあ稲ワラを一回り大きくしたくらいのもんだろうとかってに想像していました。それが400把だから、2トントラックで十分だろうと。
着いて、茅を見たとたん、あまりの大きさにちょっとえっと思いました。
茅を一束一束運ぶ度に、いやな予感が増してきます。
一束といってもだいぶん手間がかかってそうな感じなのです。
この一年まったく疑ってなかった300円という数字が急に目の前で回りはじめて、
茅をトラック半分ほど積んだ頃には、不安は頂点に達していました。
恐る恐る聞きました。
「これ300円って、えらい安いですね・・・・。」
職人さんたち、「・・・・・・・・・」
顔を見合わせて、目を点にして、
「ばかいうな!!こりゃ3000円するんぞ」
僕「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
頭の中は、一瞬にして3000×400を計算していました。
120万!!!!!!!!!!
茅代だけで・・・・・・・・・。
その時点で、僕の頭のなかの計算機能はふっとんだみたいで、それ以上の計算はしなくなっていました。
「300円いうたじゃないか、おっさーーん!」
一瞬そうも思いましたが、こっちの聞き間違えか思い込みかもしれず、今更一年前のことをほじくりだしても、真偽の確かめようもなく、僕は動転したまま、無言で、残りの茅を運びつづけました。
流れ作業で手渡していったので、目の前を3000円、6000円、9000円、・・・・と数秒のうちに一万円分がとおりすぎていきます。
どおりでおじちゃんたちが全員で数を数えあっているわけだ。
ふと我に返ると、茅はトラックにいっぱいになろうとしていました。
といっても幸か不幸か茅が大きすぎて、130把しか積めませんでした。
400把運ぶためには、須佐まで片道3時間の道のりをもう一往復しなけりゃなりません。
もう昼になろうとしてるのに、考えてる暇もなく、今更これを下ろせともいえず、
頭の中は真っ白のまま、平生に向けて、茅満載で出発しました。
帰りの道中、ようやく冷静に考え始めることができ始めました。
これでは、葺き替えに150万以上かかってしまうこと。
いくら環境にいいからと、高い金をかけて茅葺きにしたのでは、自分にとってまったく意味がありません。
お金がなくても、お金に縛られなくても、自分でいろいろすれば、
住む家を持てるひとつのモデルとしてこの平生の家を作ってきたんです。
住環境に対するコストから開放されれば、私たちの生活のあり方は、とても精神的にも時間的にも余裕が生まれると思うからです。
金持ちの古民家ブームとは、いっしょにされたくはありません。
ですが130把では屋根一面しか葺けません。
帰りながら、携帯で須佐の職人さんと連絡をとり、古い茅も混ぜながら、この一往復分の茅だけで、傷んだ側の屋根を2面だけ、なおすことにしました。
あとの2面はまだ状態が悪くないので、毎冬、自分たちで茅を刈って、数年してたまったら、自分たちで葺こうと思います。

さて葺き替え初日。
職人さん4人と十数人のボランティアの方の手で作業が始まりました。
古い茅をみんな鼻の穴まで真っ黒になりながら降ろします。
こんなとき、日頃は切るだけでわずらわしい鼻毛の役割と偉大さを感じます。
今回はついでだから、100年前であろう骨組みの垂木もすべてやり変えようということで、古い垂木まですべてはずしました。
昼には、屋根は太い合掌の柱を残して何もない状態に。
それから杉やヒノキの細い間伐材を縦に割付け、横にも割付け、わら縄で結んでいきます。
すべては目分量の超アバウト。
結び方は植木屋さんがよく使う「男結び」。
この結び方さえマスターすれば、葺き替え作業のほとんどをこなせます。
そして割いた竹を横に10センチおきくらいに並べ、縄でしばり、下地の骨組みの完成。
あとはひたすら茅を並べて竹で押さえての工程を繰り返し、上へ上へと葺き上がっていくのです。
3日目午前中には2面すべてが葺きあがり、あとは散髪。
芝を刈るより大きな刈り込みばさみで、ひたすら刈り込み、仕上げです。
3日目の午後には、分厚いかやぶきの屋根が完成していました。
2面だけだけどね。

すべてを職人さんに頼めば、やっぱり高かったかやぶき屋根。
だけど茅も自分たちで刈って、自分たちで葺けば、タダでできるのもかやぶき屋根。
今回手伝ってわかったのは、かやぶき屋根は、自分たち素人にも手の届く技術だということ。
だって昔は地域の人で葺き替えてたんですもんね。
そこにある木と竹を切り、わら縄で結んだだけの骨組みに、茅や麦を乗せて縄で縛り、積みあがっていくだけ。
もちろん角の尾根の部分や仕上がりの美しさには職人の熟練度も要求されますが、
見栄えと強度をそこそこで納得できるなら、素人でも慣れれば、それなりの屋根は葺けそうです。
もちろん、あくまでそれなりですが。
それとやっぱり屋根仕事なので、雨が降らないうちに早めに葺き替えようと思えば、ある程度の人数がいりますね。
それをすべて手間賃というか、職人の日当で計算すれば、やっぱり高いものになってしまう。その点、昔の「結い」という手間替えのシステムは、とてもすぐれたものだったと改めて思います。
今ではその共同体自体が崩壊しているわけです。
かやぶき屋根が姿を消していったことと、共同体の崩壊は、表裏一体だったんですね。

そしてその場にある材料でつくれて、またその場の土に返る、究極のエコ素材。
茅(かや)があるところは茅、葦(あし)の場は葦、麦の場は麦、ちなみにうちの古い屋根に使ってあったのは、ほとんどが笹、そして麦が少しでした。
去年台風後に降ろした古い麦などはほとんど堆肥化した状態で、それを捨てた田んぼに蒔いてたライ麦は、桁違いに大きな穂をつけました。

目先の視点での効率化、合理化にとらわれて発展してきた近代建築。
しかし、環境問題に行き詰り始めて初めて、地球規模での大きな視野で考えると、極めて非効率、非合理的だったことに、やっと今気づき、変化を模索し始めている私たち。
その模索の延長上にある一つの解答が、土壁や草屋根といった伝統工法なのかもしれません。
体がやり方を覚えているうちに、子どもたちの秘密基地を草葺でつくろうと思ってます。
そして数年後には、まず北側の小平をみんなでワークショップ形式で葺けたらいいなと思ってます。
乞うご期待。

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