半農半菓
答えを生きる
2007年4月11日
(2003年「海を渡る風」に寄稿した文章より転載)


4年前、自然と調和しながらも食べ物をつくっていけないかと求めていたときに、
「自然農」という耕さない農に出会いました。
耕さず、肥料もやらず、草も虫も敵とせず・・・・。
まわりは誰も、そんなやり方で米ができるとは信じていませんでした。
6月、草ぼうぼうの田んぼの中に、そのまま苗を植えていきます。
その姿を横目で見ながら、「そりゃあ、できるわけがなかろう」と近所の農家は言っていました。
1年目の収穫。普通にできました。「昔の肥料が残っちょるんじゃろう」。
2年目。「まだ肥料が残っちょるんかねえ。」
3年目。「・・・」
4年目。「わしも一枚だけ肥料をやらんとつくってみようかのう」
そして今年。一から米つくりをしてみたいという人が、4〜5名増えました。
今まで、田植えや稲刈りを手伝ったことのある人たちです。

百の言葉を並べるよりも、「生きてみせる」ことの力強さを感じます。
みんな、○○○はこうやってやるものだと思い込んでいる。
自分にはできないとあきらめてる。何かを失うんではないかと恐れてる。
そうして、新しい一歩を踏み出す勇気を忘れてる。

砂糖を求めて、歩き回るありの行列。
その行列の中で、いくら「そっちには砂糖はないよー」と叫んでも、なかなか向きは変わりません。
仲間といくら声高に叫んでも、行列のエネルギーに飲み込まれて、最後には疲れ果ててしまう。
砂糖を見つけたのなら、さっさと列を離れて、砂糖を食べにいけばいい。
砂糖を持ち帰ったありが幸せな笑みをこぼしたとき、自分も行ってみようと思うありも出てくるでしょう。
そうしていつしか、新たな行列ができるのかもしれません。

こんなやり方でもできるんだ。
自分でもできるんだ。
こんな生き方でも、幸せに生きれるんだ。
自分の生き方が、人にそんな気づきと勇気をもたらせれたら、幸せですよね。

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