半農半菓
結び、ほどく
2003年11月18日
時折、民家が建て壊されて、ツーバイフォーの商業住宅に建て替えられるのを見かける。
長い歳月を生きてきた歴史が、半日のうちに、ユンボによって残材の山と化す。
それは解体というよりも、破壊といった方がふさわしいかもしれない。
現代という性急な時代。

かつて民家は、このように解体されることはなく、
一つ一つの部材が、大切にとき解かれた。
屋根の瓦をはずし、土を降ろし、杉皮をはがす。
棟木をはずし、柱を抜いて、それらはまた新しい民家の部材として再生されていった。

そこには、建てることは結ぶことだという思想があった、と何かの本で読んだ。
結んだものは、ほどくことができる。
ほどいたものは、また結べる。
ほどくことの出来ない近代の技術の行き着く先は、
みずからの破壊でしかないのかもしれない。

最近、壁を塗った。
この結ぶことを、如実にみせてくれるのが、木舞土壁だ。
土壁を落とし、編んである竹を一本一本はずし、抜き板を抜く。
はずした竹は、よく乾燥し、薪の火をつけるのに、重宝する。
目の前の竹林に行って、ほどよい竹を切る。
その竹を何等分かにし、ワラ縄で縦横に編む。
落とした土壁に、去年できた稲を切って混ぜる。
水を加えて何度も練り、それを竹の木舞に塗り重ねる。
まるで、料理のようなこの一連の作業によって、一枚の泥壁ができていく。

竹を結び、水で結んだ泥を塗る。
そうして長い歳月のはて、湿気と風雨という水によって、またほどかれていく。
土に戻り、その土からまた竹が生え、稲が育つ・・・。
めぐりめく季節のように、祭りで踊る輪のように。

縄文から連綿と続くこの環の智慧を、取り戻し、
子どもたちに伝えていけたらなあと思う。

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