半農半菓
時間泥棒
2003年11月18日
“心を亡くす“と書いて、「忙しい」と書きます。

ひと昔前、洗濯のわずらわしさから開放されるために、誰かが洗濯機を考えました。
ひと昔前、かまどでご飯を炊く大変さから開放されるために、誰かが炊飯器を考えました。

以来、たくさんの「便利なもの」「快適なもの」が生み出されました。
主婦は、家事の忙しさから開放され、ゆったりとした時間を持ち、空いた時間で自分の好きなことができる、そんな時代が始まると誰もが夢見ていました。

そして今、社会を見渡すとき、現実はどうでしょう。
朝、子どもを送り出し、働きに出かけ、夕飯、塾の送り迎え、・・・分単位の忙しさ。
頭の中は、「あれをしなくちゃ」「これもまだ」というセリフでいっぱい。

幸せになるためには、ゆっくり好きなことを楽しむ時間をつくるためには、お金を稼がなくちゃいけない?
そのお金を稼ぐためにコマネズミのように走り回り、道端に咲く花に心を奪われる時間さえないとは。

ミヒャエル・エンデの小説「モモ」の中に、時間泥棒の話がでてきます。

ある大きな円形劇場に、一人の女の子が現れ、住みつくようになります。
モモと名乗るその少女は、じっと人の話に耳を傾けるだけで、人々に自分自身を取り戻させる不思議な力を持っていました。

貧しくとも心豊かに暮らす人々の前に、ある日、「灰色の男たち」が現れます。
時間貯蓄銀行から来たという灰色の男たちは実は、人々から時間を奪おうとする時間泥棒でした。

時間を節約して時間貯蓄銀行に時間を預ければ、利子が利子を生んで、人生の何十倍もの時間を持つことができるという、言葉巧みな灰色の男たちの誘惑にのせられ、人々は余裕のない生活に追い立てられていきます。
そして時間と共に、かけがえのない人生の意味までも見失っていくのです。
モモは盗まれた時間を人々に取り戻すために、灰色の男たちと闘っていきます。

働いても働いても、なぜ豊かにならないのか。
物質的な豊かさとは裏腹に、ますます心の中に広がる空虚感・・・・。
時間泥棒から時間を取り戻すカギ。

それは、自分たちのものを自分たちでつくる、そんな発想の中に隠れてるような気がします。「リストラ」というと首切りというイメージがありますが、「リストラ」とは本来“リストラクチャリング”(再構築)のこと。

僕たちが幸せに生きるために、何が必要で、どの部分がいらないか。
今、本当に必要なのは、僕たち個人個人の生活をリストラしていくことかもしれません。

次回はケーキの値段を分解して、もっと具体的に時間泥棒の正体を考えてみたいと思います。

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