地球子舎(てらこや)
山の神さま
2017年1月29日
手水鉢
手水鉢
祠をなおした。
おうちえんを始めた時から、いやもっと前、ここに住み始めて子どもたちと山で遊び始めたころから、ずっと気になってた崩れた石の祠。
子どもたちがいつもよく遊ぶ山の上の広場のすぐ下の段にそれはある。
おうちえんで、子どもたちが山で遊ぶときには必ず山の神さまにお礼を言って柏手打ってから、遊んでいる。
この地の自然があって、僕らは遊び、暮らすことができてる、そのあたりまえに感謝することをいつも心に留めておいてもらいたいから。
山の神さまっていってもみえないし、わからんから、このくずれた祠をいつしか子どもたちは「山の神さま」って呼んでた。
となりのおばあちゃんが言ってた。
昔は、ここに地域のみんながあつまってお祭りをしていたそう。
なんと縁日の出店まできてたらしい。
でも数十年前の地震で、崩れてしまったそうな。
別に祠に神さまが住んでるわけじゃないから、崩れてるけどまあいっかと直すのを先延ばしにしてきたけれど、ずっと気になってた祠。
おうちえんの子どもたちとやるにはちょっと難しい作業だし。
でも小学生とならやれるかも、小学校を始めたら一緒に建てなおそうと思ってた。

収穫がひと段落した12月、てらこやに毎日居れる余裕ができた僕のこの冬の初仕事。
数日前から寝ても覚めても夢の中でも、考えてた。
どうやったらあの一番重そうな祠の屋根を掘り出し、持ち上げ、向きを変え、据え付けなおせるか。
たぶん200キロくらいはある。
子どもたちにも危なくないように少しでも関わらせながら。
ゆう、かいせい、そらが、やりたいと手を挙げる。
チェーンブロックを吊り下げるための木を切って三脚をつくり、
付近の木を使って、石を持ち上げるだけ持ち上げて、木で作った滑り台にのせて、すべらせて移動する。
石の作業は、てこの原理をたくさん使う作業でもある。
細長い鉄の棒をうまく使って、てこを働かせて、重い石を浮かせたり、ずらしたり。
子どもたちはやりたいんだけど、やっぱもしバランス崩して石が足の上に落ちたりしたらやばすぎるので、
彼らに手伝ってもらったのはチェーンブロックのチェーンを引っ張ってもらったり、
隙間にちょうどいい石をはめ込んでもらったりの作業。
それでもうれしそうだった。
ばらばらになった石のパーツは立体のパズルみたいで、みんな頭をひねらせながら、どれがどこの部分かを探っていった。
最後の石がのった。
難しい作業をやり終えたという達成感、怪我なく終われた安心感もあったが、ひとつ役目を果たせたという不思議な気持ちが湧いてきたのを憶えてる。

そこらに転がってた別の石は、たぶんかつての手水鉢。
ゆうとかいせいが、掘り出して、据え付けなおした。

ここに埋ってたご神体らしき銅鏡を発見した。
ちょうど数日前そらが、さびた10円玉をピッカピカに戻す方法をなにかでみたらしく、
ケチャップで10円玉をきれいにする実験をしてたばかり。
ケチャップまみれにされた銅鏡は数日で、みごとな光沢を取り戻した。
銅鏡をのせる台は僕がつくって、その表面の飾りは、最近彫刻刀やナイフにはまってるかいせいが、みごとに彫り込んでくれた。

ちょうどいいタイミングで、同じ部落のおじいちゃんにしめ縄つくりを習う子どもたち。
ついでに祠用のしめ縄も作った。

祠が直って、飾るものも揃って、他のプランもあって、この日しか鎮座のお祭りをする時がないって選んだ日が、12月21日。
子どもたちが祠を水で洗い清める。
水で洗われた瞬間、場の空気が透き通った清らかなエネルギーに切り替わった気がした。
おうちえん、てらこや、スタッフ全員で、僕の我流の祝詞をあげて、神鎮めのお祭りをした。
山の中に柏手の音がこだまする。
後で気づいたら、この日はこの年の冬至。
陰極まりて陽に転ずる、めでたい日。
あまりにも素敵な偶然の連なりに、山の神さまが喜んでるような、そんな素敵な計らいを感じた一連の日々。

ゆうが言ってた。
祝詞をあげた瞬間、空気が変わったよって。

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