地球子舎(てらこや)
「できたら・・・」
2018年4月27日
新年度が始まると、この一年のあいだにてらこやでやりたいことを毎年シェアしあっている。
付箋紙に書かれたたくさんの「やりたい」が黒板に張られていく。
そのとき、何人かの口から
「できたら、いかだをつくって無人島に行きたい」
「できたら、絵本をつくりたい」
「できたら、・・・したい」
言葉の前に「できたら」がつく発言がいくつかあった。
僕はこの「できたら」という一見奥ゆかしい表現にちょっとひっかかる。
1年目、2年目にはなかった表現のような気もする。
思ってたけどできなかった(やらなかった)の2年間の経験から、「できないかもしれない」がインプットされたんだろう。
人間関係や経験したことから学んできた、ある意味成長といえば成長かもしれないけれど、

いつからだろう。
誰もが小さい時は、ただ純粋に「けいどろがやりたい」「たんけんにいきたい」だったのに。
人は、いつから夢ややりたいことが条件付きに変わっていくのか。
僕は自分の体験と人の観察の中から、
自分のありたい生き方を生きてる人とそうでない人には決定的な違いがあると思ってる。
実現してる人は、「やる」「〜になる」って言葉をだし、動き出す。
実現してない人は「〜たら始める」とか「〜たら、するのに」とか実現できない理由や条件が先に来る。
言葉はその人の意識のありようをそのまま表現する。
そして、ことばどおり、意識どおりの現実を体験していくのだと。

多くの大人が、自分のありたいカタチをあきらめ、
「ほんとはこう生きたいわけじゃないけど、しょうがないから」と自分の中の可能性にふたをしていく姿をみてきた。
自分の経験やまわりの価値観から、年を重ねるごとに閉じていくものをみてきた。
でも人は本来、もっと自由で、もっと可能性に満ち満ちているはずだ。

「できたら、・・・」なんてたった4文字の小さいことなんだけど、スルーできない大きなことなんだな。
だから「ちょっと待って」と割り込んだ。

ここに書いてるような小難しい話をしてもわからないので、
おうちえんを始めるときのエピソードを話した。
ここに書いても長くなるので、興味ある方はこちらを
〜「やる」と決めたとき〜http://www.oh-shita.com/slowlife/blog/444.html

そしてまあみんも先日の大阪への旅のことを話す。
大阪への旅のために、1年間子どもたちがお金をつくってきて、
10万円くらいたまってたころ、気持ちも行き詰っていた。
年度内に行こうと思ったらあと1か月のうちにはあと4万円くらいつくらないと全員で大阪には行けない。
でも、今までの1年でお金をつくるということがいかに大変かを子どもたちも感じてて、モチベーションも下がり切っていた。
そして、大阪の旅をどうするのか話し合いになってたとき。
「やめるのか」
「今あるお金で行けるところに変更するのか」
それとも一年前の熱い想いを思い出して、「大阪にみんなで行く」のか。
子どもたちのだした答えは、「大阪にやっぱり行く!」だった。
そして不思議なことに、子どもたちが再度「行く」と決めたその日、
漁師さんから「捨てられた網から鉛を切り分けてお金にしないか」という話が飛び込んできたのだ。
子どもたちは、すぐさまその話に飛びついて、残り4万円をつくり、
みんなで大阪へ行くことができた。
あのとき、「お金が集まったら行く」だったら行けなかったよね。
「行く、お金を集める」って決めた途端に、そんな話がやってきて、行けたよね。
あれだよ、あれ。
って感じで。

子どもたちには、届いただろうか。
まあ、でもこれもあくまで僕やスタッフの一部がそうだと思ってるにすぎない一つの価値観。
そうだと押し付けるつもりもない。
ただ世の中の99%が信じていることだけに、子どもたちがとらわれていかないように、
別の視点、たくさんの考え方を提供していきたい。
あくまで選んでいくのは子どもたち自身。
ぼくら大人にできることは、子どもたちの可能性の扉が閉じないように気をつけていくことだけかもしれない。

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