古代からの手紙
2004年3月17日
旧暦のお正月、ちょっと沖縄の島々を家族で旅してきました。
今回の旅の目的は、嫁さんがゆっくりのんびりできるように、という名目だったのですが、
内心、真の目的は、与那国島の海底古代遺跡!!
沖縄に行くなら、ここに行かずして帰れるか!
そんな不純な動機のおかげか、青い海、青い空、白い砂浜、という僕のイメージを見事に覆し、
灰色の空、小雨、強風、36年ぶりの大寒波、沖縄本島には雹が降る始末・・・・。
道行く人たちは、マフラー、コートを着けてました。
一週間の間、太陽をみたのはほんの数分間!
子供たちがイルカと遊んでいるときと、最後の日、沖縄に来て海で遊ばずして帰れるかと、寒風吹きすさぶ波打ち際で子どもと遊んでいたときだけ・・・。
あまりの寒さにわはは!!
笑っちゃいました。
そんな中、海底遺跡、この目で確かめてきました。
日本の西の果て、与那国島。
その岬の先の浅い海底に眠る、巨大な岩塊。
直角に切り込まれた階段状の巨大遺跡は、幅250メートル、高さ25メートルにおよびます。
差し込む太陽の光によってまるで海底宮殿のような雰囲気をかもしだす実に神秘的な構造物。
昭和61年に地元ダイバーによって発見されて以来、古代都市の遺跡ではないかと大学の研究チームによって調査が進められていますが、最近はテレビでもたびたび紹介され、ご存知の方も多いはず。
http://www.churashima.net/shima/yonaguni/x_20020125/index.html
http://www.bihou.com/iseki/top/hon.htm
自然の造形物か、はたまた古代文明の遺産か?
半潜水艇に乗って、この目で見てきました。
どう疑ってみても、人工の物にしか見えませんでした。
100人みれば99人、人工のものだというでしょう。
どうやら、人工物ではないと言っているのは、権威を失うのを恐れる学者さんだけのようです。
周辺でも次々と海中の遺跡が発見されています。
最近、遺跡の近くに海底鍾乳洞が発見されたことから、この遺跡がかつて陸上にあったことが証明されました。
第一発見者のアラタケさんに話をうかがってきました。
現在、大学のチームが、遺跡表面のサンゴなどを採取、年代測定中。
今見つかっているもので、一番古いのが6000年前のサンゴ、だそうです。
ということは、これが陸地にあったのは、少なくとも6000年以上前!
調べていけば、もっと古いものがあるでしょう。
地質学上は、ここが陸地だったといわれているのは9000年前から1万2000年前。
1万2000年前に沈んだといわれる伝説の「ムー大陸」を想起せずにはいられません。
よく似た形状の遺跡が、インカ、マヤの遺跡にあるのも非常に興味深いのです。
エジプト、メソポタミア、黄河よりもシュメールよりも、はるかに古い文明。
これが人の手が加わった人工の産物だと認められば、世界の歴史はすべて根本からひっくり返るのです。
学者さんたちの多くが、完全無視するはずです。
これまでの権威のすべてを失っちゃうんですもんね。
否定派の権威ある学者さんたちの意見を読むとおもしろいです。
みな一様に「形がきれいで完璧すぎる」「縄文以前の人類に、そのように巨大な構造物がつくれるはずがない」・・・
実に説得力のない、子どもの言い訳のような意見ばかり。
縄文時代は未開の文明だという定説が、大前提になっているんです。
よく考えたら、定説もただの仮説だったのに。
定説に長く居座り続けすぎたんでしょうね。
現代科学の病気のような気もします。
そんな学者さんたちによって、教科書がつくられ、僕たちに深く刷り込まれているイメージ。
粗末な服で身を包み、石などの道具で、狩猟採取生活をしていた縄文人の姿。
青森の三内丸山遺跡の発掘などにより、そのイメージは少しずつ変わってきてはいるものの、今も依然として、子どもたちはそんな固定観念を植え付けられていると思うと、かわいそうな気もします。
この遺跡、最近テレビでもたびたび紹介されているようで、
学会が認めなくても、動かざるを得ないところまで世論が動いていくと、おもしろいことが起こりそうです。
世界中で発見されるオーパーツとよばれる品々、遺跡たち。
その中には、現代の技術をもってやっと造れるものもあります。
現代の定説で説明できないものはすべて、オカルト扱いされて闇に葬られてきました。
中学時代、小さいながら、なぜ教科書にこれらの説明がないのか不思議でした。
それらを説明できない教科書と授業にまったく興味がわかなかったのです。
そしてエジプトや南米の古代遺跡に胸を躍らせていました。
あの頃と同じ胸の高鳴り。
僕の中のなにかの記憶が、まちがいなく刺激されるのです。
世界中に散らばる、古代文明のかけら。
そのジグソーパズルを組み合わせてみると、古代の姿が浮かび上がってきます。
歴史が大きく塗り替えられるとき、
僕たちのルーツが発見されるとき、
そんな日も近い気がします。
歴史にほとんど形跡も残せなかったほど、古代の文明。
彼らは、どのように生きて、なぜ消えてしまったのか。
環境問題、食糧危機、戦争・・・。
人類の存亡が問われている今、
この遺跡が発見されたのは、なにかのメッセージなのでしょうか。
もし、かつて大破局があったとして、
もし、生き延びた人たちがいたとしたら、
彼らは二度と破局を生まない生き方を始めたことでしょう。
破局を生まない知恵を語り継いだことでしょう。
それが縄文の人々、琉球、アイヌ、世界各地の先住民族の生き方なのかもしれません。
私たちが「未開」とさげすんできた・・・。
私たちこそが学ぶべきだと思います。
彼らの考え方、生き方に。
もしかすると、私たちは一万年かけてやっと、かつて通った地点にたどりついたのかもしれません。
また同じ過ちを繰り返そうとしているのかもしれません。
そうして生き延びた人たちが、新・縄文人として、新たな歴史を始めるのでしょうか。
それとも、かつての教訓を生かし、今回は新たな高みへと登れるのでしょうか。
僕の知人は、先住民族のシャーマンの方から「山で生きる知恵を身につけなさい」というメッセージをもらっています。
山で生きる知恵。
エネルギーも食料も、そこであるもので、快適に生きていくための知恵、技術。
環境問題も食糧危機も生まない生き方。
永続可能な生き方。
そのヒントは、縄文、古代、先住民族・・・、そんな中に隠されているような気がします。
ちなみに今回の遺跡探索は、ダイビングで潜ったのではなくて、海底探索船に乗ってのものです。
港からポイントまで、片道一時間。
折からの悪天候で、海はしけ模様。
次から次へと乗客は船酔いで倒れ、最後に残った僕も、もうすぐポイントにつくというところで、オエップ。
袋を口元に下呂下呂しながらも、涙で潤んだ目を必死に見開いて、「ここまできて見れずに帰れるか!!」
って感じで、根性で全部見てきました。
ちなみに船で完全にダウンしていたうちの嫁さんは、もう二度と乗りたくないそうです。
ははは・・・。
今回の旅の目的は、嫁さんがゆっくりのんびりできるように、という名目だったのですが、
内心、真の目的は、与那国島の海底古代遺跡!!
沖縄に行くなら、ここに行かずして帰れるか!
そんな不純な動機のおかげか、青い海、青い空、白い砂浜、という僕のイメージを見事に覆し、
灰色の空、小雨、強風、36年ぶりの大寒波、沖縄本島には雹が降る始末・・・・。
道行く人たちは、マフラー、コートを着けてました。
一週間の間、太陽をみたのはほんの数分間!
子供たちがイルカと遊んでいるときと、最後の日、沖縄に来て海で遊ばずして帰れるかと、寒風吹きすさぶ波打ち際で子どもと遊んでいたときだけ・・・。
あまりの寒さにわはは!!
笑っちゃいました。
そんな中、海底遺跡、この目で確かめてきました。
日本の西の果て、与那国島。
その岬の先の浅い海底に眠る、巨大な岩塊。
直角に切り込まれた階段状の巨大遺跡は、幅250メートル、高さ25メートルにおよびます。
差し込む太陽の光によってまるで海底宮殿のような雰囲気をかもしだす実に神秘的な構造物。
昭和61年に地元ダイバーによって発見されて以来、古代都市の遺跡ではないかと大学の研究チームによって調査が進められていますが、最近はテレビでもたびたび紹介され、ご存知の方も多いはず。
http://www.churashima.net/shima/yonaguni/x_20020125/index.html
http://www.bihou.com/iseki/top/hon.htm
自然の造形物か、はたまた古代文明の遺産か?
半潜水艇に乗って、この目で見てきました。
どう疑ってみても、人工の物にしか見えませんでした。
100人みれば99人、人工のものだというでしょう。
どうやら、人工物ではないと言っているのは、権威を失うのを恐れる学者さんだけのようです。
周辺でも次々と海中の遺跡が発見されています。
最近、遺跡の近くに海底鍾乳洞が発見されたことから、この遺跡がかつて陸上にあったことが証明されました。
第一発見者のアラタケさんに話をうかがってきました。
現在、大学のチームが、遺跡表面のサンゴなどを採取、年代測定中。
今見つかっているもので、一番古いのが6000年前のサンゴ、だそうです。
ということは、これが陸地にあったのは、少なくとも6000年以上前!
調べていけば、もっと古いものがあるでしょう。
地質学上は、ここが陸地だったといわれているのは9000年前から1万2000年前。
1万2000年前に沈んだといわれる伝説の「ムー大陸」を想起せずにはいられません。
よく似た形状の遺跡が、インカ、マヤの遺跡にあるのも非常に興味深いのです。
エジプト、メソポタミア、黄河よりもシュメールよりも、はるかに古い文明。
これが人の手が加わった人工の産物だと認められば、世界の歴史はすべて根本からひっくり返るのです。
学者さんたちの多くが、完全無視するはずです。
これまでの権威のすべてを失っちゃうんですもんね。
否定派の権威ある学者さんたちの意見を読むとおもしろいです。
みな一様に「形がきれいで完璧すぎる」「縄文以前の人類に、そのように巨大な構造物がつくれるはずがない」・・・
実に説得力のない、子どもの言い訳のような意見ばかり。
縄文時代は未開の文明だという定説が、大前提になっているんです。
よく考えたら、定説もただの仮説だったのに。
定説に長く居座り続けすぎたんでしょうね。
現代科学の病気のような気もします。
そんな学者さんたちによって、教科書がつくられ、僕たちに深く刷り込まれているイメージ。
粗末な服で身を包み、石などの道具で、狩猟採取生活をしていた縄文人の姿。
青森の三内丸山遺跡の発掘などにより、そのイメージは少しずつ変わってきてはいるものの、今も依然として、子どもたちはそんな固定観念を植え付けられていると思うと、かわいそうな気もします。
この遺跡、最近テレビでもたびたび紹介されているようで、
学会が認めなくても、動かざるを得ないところまで世論が動いていくと、おもしろいことが起こりそうです。
世界中で発見されるオーパーツとよばれる品々、遺跡たち。
その中には、現代の技術をもってやっと造れるものもあります。
現代の定説で説明できないものはすべて、オカルト扱いされて闇に葬られてきました。
中学時代、小さいながら、なぜ教科書にこれらの説明がないのか不思議でした。
それらを説明できない教科書と授業にまったく興味がわかなかったのです。
そしてエジプトや南米の古代遺跡に胸を躍らせていました。
あの頃と同じ胸の高鳴り。
僕の中のなにかの記憶が、まちがいなく刺激されるのです。
世界中に散らばる、古代文明のかけら。
そのジグソーパズルを組み合わせてみると、古代の姿が浮かび上がってきます。
歴史が大きく塗り替えられるとき、
僕たちのルーツが発見されるとき、
そんな日も近い気がします。
歴史にほとんど形跡も残せなかったほど、古代の文明。
彼らは、どのように生きて、なぜ消えてしまったのか。
環境問題、食糧危機、戦争・・・。
人類の存亡が問われている今、
この遺跡が発見されたのは、なにかのメッセージなのでしょうか。
もし、かつて大破局があったとして、
もし、生き延びた人たちがいたとしたら、
彼らは二度と破局を生まない生き方を始めたことでしょう。
破局を生まない知恵を語り継いだことでしょう。
それが縄文の人々、琉球、アイヌ、世界各地の先住民族の生き方なのかもしれません。
私たちが「未開」とさげすんできた・・・。
私たちこそが学ぶべきだと思います。
彼らの考え方、生き方に。
もしかすると、私たちは一万年かけてやっと、かつて通った地点にたどりついたのかもしれません。
また同じ過ちを繰り返そうとしているのかもしれません。
そうして生き延びた人たちが、新・縄文人として、新たな歴史を始めるのでしょうか。
それとも、かつての教訓を生かし、今回は新たな高みへと登れるのでしょうか。
僕の知人は、先住民族のシャーマンの方から「山で生きる知恵を身につけなさい」というメッセージをもらっています。
山で生きる知恵。
エネルギーも食料も、そこであるもので、快適に生きていくための知恵、技術。
環境問題も食糧危機も生まない生き方。
永続可能な生き方。
そのヒントは、縄文、古代、先住民族・・・、そんな中に隠されているような気がします。
ちなみに今回の遺跡探索は、ダイビングで潜ったのではなくて、海底探索船に乗ってのものです。
港からポイントまで、片道一時間。
折からの悪天候で、海はしけ模様。
次から次へと乗客は船酔いで倒れ、最後に残った僕も、もうすぐポイントにつくというところで、オエップ。
袋を口元に下呂下呂しながらも、涙で潤んだ目を必死に見開いて、「ここまできて見れずに帰れるか!!」
って感じで、根性で全部見てきました。
ちなみに船で完全にダウンしていたうちの嫁さんは、もう二度と乗りたくないそうです。
ははは・・・。