排水口の向こう側
2004年10月1日
水はすべてを溶かし、流しさってくれるもの―――日本人は長い間、水に対してそんなイメージをもってきた。
わだかまりの解決に「すべてを水に流そう」という言葉が使われてきたことでもそれはわかる。
昔の人のいったい誰が、将来水を買う時代がくるなんて想像しただろう。
近所の川で遊ぶ風景は、もう父の昔話の中か、山奥の清流にいかなきゃみることはできない。
小さいとき大好きだった貝掘り、どこで掘ってもうじゃうじゃ採れた。
今じゃ掘っても掘ってもほとんどいない・・・・。
ケニアのとある村で、僕は生まれて初めて、水の味に感動した。
岩の間からしみ出ていたその水を口に入れた瞬間、口の中で、水玉のようにコロコロとはじけ、のどの奥へ転がり込んでいったのだ、たくさんの水玉が・・・。
甘かった。
日本でいろいろ名水とかいうのを飲むこともあるが、あのときのような感動を憶えたことはない。
日本に帰って数ヶ月は、水道水の臭さに鼻をつまんだ。
歯磨きのとき、口をゆすぐのさえ、勇気がいった。
けどその匂いにも数ヶ月で慣れてしまったんだろう、今じゃまったくわからない。
ケニアのその村では、食器を洗うのに、洗剤を使うことはなかった。
たぶん水に力があるのだろう。
水だけで充分きれいになっていたし、油汚れも、調理後の灰を使って見事に落ちていた。
その時初めて、僕は食器を洗うのに洗剤を使わなくても可能だということを知った。
いつからか疑問に思い始めたのが、「混ぜるな危険!!」って書かれた洗剤。
「水素系のものと混ぜないでください」と書かれた酸素系洗剤と、「酸素系のものと混ぜないでください」と書かれた水素系洗剤がある。
そう大きく書いてあるからには、やっぱり混ざったら、危険なんだろう。
でも、あれって誰も疑問に思わないんだろうか。
たとえばここに、酸素系漂白剤を使ってる奥さんがいるとする。
日本の主婦の方々って、たいていみなさん真面目だから「混ぜるな危険!!」って大きく書かれていたら、「まあ!!水素系と混ぜたら危険なのね」と気をつけるだろう。
悪意の無い限り。
奥さんは「ああ、きれいになったわ、やっぱり○○○ね、CMのとおり(^^)。」と大喜び。
そして汚れを落とした洗剤は、排水口の向こう側へと流れていく。
でも、排水口の向こう側では、すべてつながっているのだ。
もし隣の奥さんが、水素系洗剤を使っていたら?
もし川の向こう岸のお店で、水素系洗剤、使っていたら?
排水溝の向こう側では、いったいどんな化学反応が起こっているのやら。
各家庭から流れ出る何万種類の化学物質。
そうして、それらは混ざりあいながら、川へ、そして海へと流れ着く。
僕らは、その水を飲み、その魚を食べている。
そりゃ、貝もいなくなるはずだ、と思う。
うちの家では、排水は自分の田んぼに流れ込むようにあえてした。
自分が変なものを流せば、自分の口に入るようにしたのだ。
僕もときどき、これぐらいいっか、流しちゃえと思うこともあるが、やっぱり思いとどまる。
すぐに自分の口に戻るのが目に見えるからだ。
自分や家族に危険が及ぶなら、しっかり気をつけるが、そうでないなら「これくらいいいか」「自分ひとりくらい大丈夫だろ」という心理がはたらく。
ま、そんな言葉がよぎればまだいいほうで、ほとんどの人は、そんなこと考えてもないかもしれない。
僕もふくめて、人ってなんと自分本位なんだろう。
でも、自分の田んぼに帰そうが、川に流そうが、無意識に流そうが、結局は食べ物や飲み水を通して、自分に帰ってくるのだ。
早いか、遅いかの差だけである。
うちの店では、調理器具を洗うのに、もう4年近く洗剤を使っていない。
お湯とアクリルたわしだけだ。
アクリルたわしとは、一応説明すれば、アクリル毛糸で編んだたわしだ。
(説明になってない?)
1年に一回くらい、スタッフの女の子が編んでくれている。
ケーキ屋だから、バターもたくさん使うし、その油汚れは家庭の比じゃないし、洗いもんも大量だ。
だけど、お湯とアクリルたわしがあれば、みごとにピカピカのつるつるになる。
洗剤がなければ、お皿はきれいにならないと、まあ見事に信じ込まされてるもんだと思う。
昔と違って、現代はいろんなつながりが見えなくなってきた。
食べ物も、水も、・・・・人も。
ここらでつながりを再確認したい。
人が人の形で存在できなくなる前に。
わだかまりの解決に「すべてを水に流そう」という言葉が使われてきたことでもそれはわかる。
昔の人のいったい誰が、将来水を買う時代がくるなんて想像しただろう。
近所の川で遊ぶ風景は、もう父の昔話の中か、山奥の清流にいかなきゃみることはできない。
小さいとき大好きだった貝掘り、どこで掘ってもうじゃうじゃ採れた。
今じゃ掘っても掘ってもほとんどいない・・・・。
ケニアのとある村で、僕は生まれて初めて、水の味に感動した。
岩の間からしみ出ていたその水を口に入れた瞬間、口の中で、水玉のようにコロコロとはじけ、のどの奥へ転がり込んでいったのだ、たくさんの水玉が・・・。
甘かった。
日本でいろいろ名水とかいうのを飲むこともあるが、あのときのような感動を憶えたことはない。
日本に帰って数ヶ月は、水道水の臭さに鼻をつまんだ。
歯磨きのとき、口をゆすぐのさえ、勇気がいった。
けどその匂いにも数ヶ月で慣れてしまったんだろう、今じゃまったくわからない。
ケニアのその村では、食器を洗うのに、洗剤を使うことはなかった。
たぶん水に力があるのだろう。
水だけで充分きれいになっていたし、油汚れも、調理後の灰を使って見事に落ちていた。
その時初めて、僕は食器を洗うのに洗剤を使わなくても可能だということを知った。
いつからか疑問に思い始めたのが、「混ぜるな危険!!」って書かれた洗剤。
「水素系のものと混ぜないでください」と書かれた酸素系洗剤と、「酸素系のものと混ぜないでください」と書かれた水素系洗剤がある。
そう大きく書いてあるからには、やっぱり混ざったら、危険なんだろう。
でも、あれって誰も疑問に思わないんだろうか。
たとえばここに、酸素系漂白剤を使ってる奥さんがいるとする。
日本の主婦の方々って、たいていみなさん真面目だから「混ぜるな危険!!」って大きく書かれていたら、「まあ!!水素系と混ぜたら危険なのね」と気をつけるだろう。
悪意の無い限り。
奥さんは「ああ、きれいになったわ、やっぱり○○○ね、CMのとおり(^^)。」と大喜び。
そして汚れを落とした洗剤は、排水口の向こう側へと流れていく。
でも、排水口の向こう側では、すべてつながっているのだ。
もし隣の奥さんが、水素系洗剤を使っていたら?
もし川の向こう岸のお店で、水素系洗剤、使っていたら?
排水溝の向こう側では、いったいどんな化学反応が起こっているのやら。
各家庭から流れ出る何万種類の化学物質。
そうして、それらは混ざりあいながら、川へ、そして海へと流れ着く。
僕らは、その水を飲み、その魚を食べている。
そりゃ、貝もいなくなるはずだ、と思う。
うちの家では、排水は自分の田んぼに流れ込むようにあえてした。
自分が変なものを流せば、自分の口に入るようにしたのだ。
僕もときどき、これぐらいいっか、流しちゃえと思うこともあるが、やっぱり思いとどまる。
すぐに自分の口に戻るのが目に見えるからだ。
自分や家族に危険が及ぶなら、しっかり気をつけるが、そうでないなら「これくらいいいか」「自分ひとりくらい大丈夫だろ」という心理がはたらく。
ま、そんな言葉がよぎればまだいいほうで、ほとんどの人は、そんなこと考えてもないかもしれない。
僕もふくめて、人ってなんと自分本位なんだろう。
でも、自分の田んぼに帰そうが、川に流そうが、無意識に流そうが、結局は食べ物や飲み水を通して、自分に帰ってくるのだ。
早いか、遅いかの差だけである。
うちの店では、調理器具を洗うのに、もう4年近く洗剤を使っていない。
お湯とアクリルたわしだけだ。
アクリルたわしとは、一応説明すれば、アクリル毛糸で編んだたわしだ。
(説明になってない?)
1年に一回くらい、スタッフの女の子が編んでくれている。
ケーキ屋だから、バターもたくさん使うし、その油汚れは家庭の比じゃないし、洗いもんも大量だ。
だけど、お湯とアクリルたわしがあれば、みごとにピカピカのつるつるになる。
洗剤がなければ、お皿はきれいにならないと、まあ見事に信じ込まされてるもんだと思う。
昔と違って、現代はいろんなつながりが見えなくなってきた。
食べ物も、水も、・・・・人も。
ここらでつながりを再確認したい。
人が人の形で存在できなくなる前に。