半農半菓
分水嶺
2007年12月1日
おいしいものを作って、お客さんに喜んでもらって、
それはすてきなことだと思っていた。

店をリニューアルして間もない頃。
僕は忙しさに日々追われ始めていた。
オープンして以来、評判が広がり、
お客さんは増える一方のうれしい悲鳴。
だけど、今のようなスタッフ体制でもなく、自分と父、母、嫁さん、とパートさん。
毎晩遅くまで仕事が続き、仕込みに追われる。
(とはいっても世のお父さんほど遅くまででもないが)
頭の中は計算と段取りだらけ。
これを窯に入れたら、それが焼きあがるまでに何分あるから、その間に次のこれをミキサーにかけて泡立てて、それが泡立つまでにこれを用意して・・・。
友人が訪ねて来ても、手が離せず、店の奥で手を振るだけで、店頭まで出ていく余裕もない。
当時1歳だった長男、光がおっぱいを飲んでてもお客さんが重なれば、引き離してでも妻は店に出なけりゃならない。
泣き叫ぶ光を横目で見ながらも、僕も手が離せない。
何かが違う。
心の中で誰かが叫ぶ。
でもそれも一瞬で、目の前の仕事にかき消されていく。

外からみれば、実に順調などころか最高の滑り出しだった。
オープン以来、それまで父のやってた店と比べれば、売上は倍増。
超右肩上がりの成長。
普通そのままいけば、従業員を増やして、機材を増やして、借金して、店を拡張して、売上を伸ばして・・・・。
実際、それは簡単に可能な選択肢だったのだが。
20代までの人生で、日本で、アフリカで、経済社会の行きつく先を、いやというほど味わってきた僕にとっては、そんな経済的な成功は露ほども魅力を感じなかった。
それどころか、経済成長路線にハマったら、抜け出せない。
そんな危機感の方が、日に日に強まった。
心の中で、自問する。

さて、このまま店が大きくなったとして、どうなるのだろう。
うちのお客が増えれば、ほかのケーキ屋の客は減る。
遠方からのお客さんが増えるほど、ガソリンが使われ、温暖化に貢献。
オーガニックの材料の確保、維持が難しくなって結果、農薬を黙認することに。
それでいいの?
手に入るのは、お金。
そんなもん必要なだけあればいいじゃん。
もうひとつ、僕の中のちっぽけな虚栄心と自我が満足するだけ。
それがほんとの自分?
なにより経済成長という幻想と奪い合いの先に、望む未来などありはしないのに。

そしてそんな理屈よりもなによりも、僕の心の方が忙しすぎる日々に拒否反応を示し始めていた。
ケニアでの1年間でスローな時間感覚がしみ込んでいた僕。
そしてそんな時間の流れで生きるときの魂の喜びを一度でも味わうと、もう僕には日本的日常は牢獄のように思えて仕方なかった。
それによって、物や金、名声を余るほど手に入れたとしても、
そんな喜びとは、喜びの質が決定的に違うのだ。
喜びアドレナリンの分泌量も、とろけるようなその質も。

いったい俺は何をしに帰ってきたんだろう。
ケーキ屋をしたかったのか。
いや、そうじゃない。
百姓がしたかったのか。
いやそうじゃない。
・・・・・

そう、新しい世界を創りたかったんだ。
僕が創りたかったのはケーキじゃなくて、新しい世界だった。
もちろんおいしいケーキを作って、人に喜んでもらえるのは喜びだけど、
それが24時間365日では、僕が本当に創りたいものを創れない。
でも、せっかくケーキ屋に生まれて、ケーキ屋を継ぐことになったんだから、
このケーキ屋という材料を使わない手はない。
まず、このケーキ屋を新しい世界へ移行するミニモデル、「ひな型」にする!

始まりかけてた経済成長路線を止めるには、思い切った手立てが必要だった。
思い切って、店を1か月休むことにした。
オープンから3か月で。
ちょうど、麦刈り田植えの時期だったから、
「麦刈り田植えをするから休みます」というのは、いい口実になった。
ま、実際、休み中は田んぼ三昧だったんだけど。
母はそんなことをしたらお客さんが離れてしまうと大反対だったが、
60を超えた父も体力的に限界に達してて、口では反対だといいながら、
「今からの時代は、そんな店があってもおもしろい」
そんな僕の口車に、まんまと乗った。
母も、父が疲れきっているのもあって、やむなく折れた。

巷では、「麦を刈りに北海道に行ったらしい」と噂がたったり、
(張り紙みろよ!ちゃんと理由が書いてあったのに)
父や母は商工会仲間から、「えー商売じゃのう、おまえんところは」とだいぶん皮肉を言われたりしたらしいが。

以来、毎年6月は、麦刈り田植えで2週間から5週間、休む。
今ではお客さんもみなよく知ってる。
6月生まれの誕生日の方にだけは、ほんと申し訳ないです。

そしてそれ以降、持続可能な経営のモデルとして、今の人間と状況でちょうどいいへんに収まるように、調整しながらやっている。
ちょうどいい辺というのは、作り手側も喜びの状態を維持できるへん。
精神的にも、体力的にも、時間的にも、金銭的にも。
本人のありたいあり方を最大限実現できる希望どおりに。

おいしいものをつくって、誰かに喜んでもらう。
それは当り前のこと。
でもそれだけじゃなく、
作り手も、売り手も、喜びで満ち溢れた場にしたい。
あふれ出た喜びを、お客さんとともに分かち合いたいから、

自分の喜びのためにと、他人を犠牲にしても、そこから本当の喜びの世界は生まれない。
人の喜びのためにと、自分や家族を犠牲にしても、そこから本当の喜びの世界は生まれない。
おいしいものを通して、ほんとうの喜びを提供したい。
それが欧舌の願いです。

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