半農半菓
家を建てる
2003年11月18日
アフリカの自給自足の村にいたときに、ある家に感動したことがある。それは18歳そこそこの一人の青年が建てたものだった。

出来たばかりのその家に案内された。
細い木の骨組みに手製のレンガの壁、そして草で葺いた屋根。簡素だが美しい家だった。

一人で数カ月で建てたそうだ。もちろん簡単な造りだけに10年と持ちはすまい。
その家の数十メートル向こうには屋根が壊れて土壁が崩れかけ、
放置された昔の家が見える。
崩れたらどうするのかと聞けば、また作ればいいと笑いながら答えていた。
しかし、僕の中では、大きなパラダイムシフトが起こっていた。

僕はそれまで、家とは、人生の大部分を投げ打って、手に入れるものだと思っていた。
そこにはもちろん自分で建てるという発想はなく、家とは買うもの。
その金額をつくり出す、または返済するには、普通の人にとって何十年もかかる。
新築したばかりのマイホームの借金を返すために、
あと何十年かかるとため息をつきながら指折り数えていた友人の顔を思い出す。

事実、日本ではほとんどの人が、
家の借金を返すために続けたくもない仕事を続けていたり、
人生の一番油の乗った時期を金を稼ぐことに時間を費やす。
生きていくにはしょうがないと自分に言い聞かせる人のなんと多いことか。
そんな風な生きているようだが実は生きていない大人たちの中で、
子どもたちに夢を描けというのが無理な話なのかもしれない。

家を建てるには大きな金が要る、
人並みな人生を送るには、ある程度の金がいる。
そんな錯覚が出発点になって、
そのためにはいい会社に、
そのためにはいい大学に。
そのためには・・・・。
都会では、幼稚園の入試まであるという・・・・。
そんな人生を演じたいのなら、そんな選択も別に否定しないけど。
もしも、心のどこかに、本当はこうしたかったというのがあるのなら、
僕たちは出発点から違っていたのかもしれない。

かつてオーム真理教が世間を騒がせたが、日本も外から見れば、一億総サティアンだろう。でも中にいる人は、これが正しいと信じている。
僕たちが無意識に当たり前と思っていたことも、その枠の外から見れば、滑稽に見える。
僕は日本を一度離れて本当によかったと思う。
離れたからこそ、日本の滑稽さと素晴らしさに気づくことができたから。

その草葺きの家に見入りながら、思った。
ああ、最低限これでいいんだ、
これだったら、自分にもなんとか出来る、これで充分じゃないか。
雨の多い日本ではそのままでは数年と持たないかもしれないけど、
いつか家を建てるときには、そのとき出来る範囲のものを自分で建てよう。
自分で建てて崩れたら?
また建てりゃえーじゃん!!
僕の中から、なにか重たいものが解放されて、
自分自身が軽くなっていったのをよく覚えている。

そして今、築100年の古い民家を、コツコツ直している。
5年前、草葺き土壁の家でいいじゃんと思っていた一文無しの身としては、
同じ草葺き土壁の家は家でもずいぶん立派な家だ。
大工仕事、左官、設計・・・・。
職人に頼めば、一日2万円弱の金が要る。
月8万円しか給料をもらってない僕としては大きな金額だ。
何もかも素人の僕がやれば、本職さんの3倍4倍時間がかかる。
仕上がりもそれなりだ。
わからんことだらけで、2度手間、3度手間は当たり前だ。
でもそれ以上に、創る喜び、考え工夫する楽しさは、格別だ。
この喜びを、お金を払って人にしてもらうなんて、
しかもその金をつくるために、必要以上に仕事をしなきゃならないなんて、
こんなあほらしいことはない。
もちろんプロの腕と知恵を借りるところは借りながら、可能な限り自分でやりたいと思う。

気をつけてる点は、
環境に負荷を与える材料は使わないこと。
その上で、なるべくお金のかからないように。
なるべくここか近くの場所でいろんなものが自給できるように。
特にエネルギーはそこにあるもので。
ここの場合、薪と太陽光と水力で。
(原子力や石油に頼らなくていいように。)

これだけのお金でもこんな家を持てるんだ。
エネルギーってこんな身近のものでまかなえるんだ。
それで充分快適だし、幸せな生き方ができるんだ。
僕がアフリカで目を覚まされたように、この場が誰かの気づきの場になれば、
こんな嬉しい事はない。

そして何よりも、土をこねる、木を切り、組み立てる、
この楽しい大人のおもちゃは当分の間、
僕を楽しませてくれそうである。

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