いのちをいただく
2020年2月28日
てらこや始めた時から、ずっとしたかったプラン。
「いのちをいただく」 子どもたちが育てたにわとりを使うことをずっと提案してきたけど、どうしてもいやだとかたくななS。 今回、養鶏やってるKさんから、廃鶏を譲ってもらって、ついに実現となった。 ほんとはもっと日常にあってもいいとも思ってる。 肉を食べない選択をしてる子は、無理にしなくてもいいと思うけど、 食べる子は、全員参加してほしい。 そして、僕らが食べている肉は、いのちをいただいてることを味わったうえで、肉を食べる、食べないを選択してほしい。 同じ肉を食べるにしても、これを経験して食べるのと、そうでないのとでは、天と地ほどの差があるとも思ってる。 そんな僕の願いもあって、卒業間近で子どもたちのプランが目白押しの中、無理やりねじこんだプランでもあった。 てらこや母Sちゃんが、愛農高校出身で、鳥をよくさばいてきたというから、Sちゃん先生に習いながら、鳥をしめていく。 SとKが代表で、ありがとう、いただきますといいながら、2羽の首を切り、血がたれていく。 怖がってた子もじっと見入りながら、静寂があたりを包む。 鳥の魂が、鳥から離れた瞬間、場の空気が変わるのを感じる。 生命が宿っていたものが、物体に変わった瞬間なのだろうか。 やがて毛がむしりとられ、スーパーで見慣れた鳥肌の肉が現れるころには、子どもたちの目が、神聖なそれから、腹減って美味しそうなものを見るときの眼差しへと例外なく変わっていたのがおもしろい。 鳥たちは、あっという間に各部位に分けられ、丸焼き、焼き鳥になって、胃袋の中へ入っていった。 かためだけど、肉の味は断然おいしい。 そして次の日は、塩麴漬けの焼き鳥、モツの煮物。 そしてそのまた後日、鳥ガラスープのラーメンに。 子どもたちの感想は、わあい3月号をみてもらいたい。 貴重な一日だった。 日常にあればなおいいが、少なくとも一年に一度は組み入れたいプラン。 僕らはいのちをいただいて生きている。 そのことが頭でなく、ほんのわずかでも心に感じることができたなら、明日からの「いただきます」が、ほんの少し深まったことを期待したいな。 by あつお |