大阪への旅
2018年3月15日
約1年前から始まった大阪への旅の計画。
今回ついにその旅を終えた。 目的地は「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」 完全に光を遮断した空間で、視覚障害者の介添えのもと、その中にある家で家族として過ごし、様々なシーンを体験するプログラム。 その過程で、視覚以外の様々な感覚の可能性と心地よさに気づいていく場所だ。 ここから近いのは、大阪にある。 朝のミーティングでそこに冬休みに行った親と一緒に行った子の話を聞いて、 「そこに行きたい!」 「みんなで行きたい!」 と一気に盛りあがった。 しかし、「てらこやの旅」として親にも協力してもらい、1年に一度は行きたいなと考えていたのは、自然、自給、同じような学校、生命、そんなテーマの旅。 大阪の街メインの旅は、「てらこや」として親に協力してもらってまで行きたい場所ではなく、行きたいなら親と各自で行くしかないね、でもよかったんだけど。 自給、自然、田畑、手仕事、生命、・・・、 そんな日々をたくさん過ごしてほしいと願い、始めた学校。 最初の一年で、大人の思惑と子どものやりたいは必ずしも一致しない、どころかほとんど一致しないことが多いことを改めて感じてきた。 自給的なことにしろ、田畑のことにしろ、大人が大事だと思ってるだけで子どもの興味のないことに向かう時間が多すぎれば、させる、させられるのエネルギーになり、 それでは、ただ公立の小学校の勉強が他のものに置き換わっただけだ。 この学校で育みたいのは、 自分のなかにあるワクワクから、自分のありたい形を実現していく力。 自分を主体としながらも、他と調和していく力。 子どもたちは、ここでの日々で小さなやりたいことは着実に実現し、積み上げて来てる。 けれど、大きなプラン、全員一致での自発的なプランとなると、なかなかなかったのが実際のところ。 個性豊かなこの面々が全員一丸となったら、どんな力がでるのか、みてみたいと思ってた。 大きなことをしようと思ったら、一人二人じゃできない。 話し合う、協力し合う、受け入れる、続ける、・・・。 そんな力が試される。 子どもたちから出てきた「みんなで行きたい、一緒にやりたい」っていうエネルギー。 それも全員揃って。 そんな題材は滅多にない。 それがたとえ、大人の思惑と少し違うとしても。 やりたいことを実現するときに一番必要な第一歩。 勢いと情熱はある。 「そこまで行きたいんなら、やってみな」 親にお金を相談するほどの目的地じゃないし、そもそも目的よりもそれに向かうまでのプロセスにこそ意味がある。 だから親にお金をだしてもらう案は却下。 簡単に行けても、ここでやる何の価値もない。 とまあ、このようにして始まったのが1年前。 安そうな高速バスの金額を調べても、一人1万円はいることが判明。 全員で行こうと思ったら、14万円!! それからタケノコを掘って売ったり、 お母さんたちの話し合いにランチプレートを作って売ったり、 ワークショップ開いたり、 放課後のマッサージ屋さん開いたり、 と、10万円近くはたまってきてたのだけど、・・・。 やってみてはじめてわかる14万円という金額の重み。 時間もたてば、当初の「行きたい」も冷めていき、・・・。 一年経つころには、宙ぶらりんのプランになっていた。 スタッフ介入。 「行くのかどうするのか」 「もう今あるお金で行けるところに行こうか」 「大阪に行きたいというみんなの気持ちに応えていままで協力して買ってくれたりした大人の気持ちはどうするの」 「年度内にきりをつけよう」 そんな感じで話し合いに話し合いを重ねてたところに、地元の漁師さんからある情報が入ってきた。 「廃棄する網についてる鉛を取り出して、リサイクルするのを手伝わないか」 みな面倒くさいから、そのまま海に捨てる人が多いらしい。 鉛による海の汚染を防ぎながら、お金にもなるならと子どもたちが飛びついた。 地に落ちてたモチベーションに再び火がついて。 真冬の縁側で毎日手をこすりながら、鉛を網から切り分けた。 人差指くらいの鉛を紐を切って取りだす。 56個集めて1キロ。 今の相場は1キロで130円になるらしい。 4万円近く集めたのだから、300キロくらい鉛を集めた計算になる。 最後のラストスパート、よく頑張ったもんだ。 そして今回めでたく大阪への旅を実現した14人。 「どうせうまくいかない・・・」 「普通はこうだから」 「だいたい無理に決まってるから」 自分のありたい形を、最初からあきらめていく人の多い今の世の中。 子どもたちには、自分の情熱と可能性を見失わないように、育ってほしいと願う。 たくさんの協力と意見、いろんな大人の思い、自分たちの力、弱さ、いろんなものを知り、また乗り越えて、心に残る旅になりました。 反省も喜びもひっくるめて、 なんだかちょっぴり大きくなった気がします。 |