半農半菓
収穫祭
2008年11月30日
最高の夕暮れだったね
最高の夕暮れだったね
今年の神棚
今年の神棚
外にもたくさんの料理が並ぶ
外にもたくさんの料理が並ぶ
今日は収穫祭♪
一年の確かな実りに喜びと感謝。
朝から久々に神棚のほこりをそうじする(^^;)
収穫祭の理由と様子は、去年と同じ。
http://oh-shita.com/slowlife/blog/81.html
毎年、神棚の前で手を合わすのは、家族だけでやってたんだけど、
今年は、朝早めに来た人たちと一緒に手を合わす。
無宗教の僕は、神棚も超我流なら、祭りも超我流。

でも、朝神棚をそうじして、
お米や野菜や水、いろんなものをお供えしてると、
むしょうに感謝の念が噴き出してくる。
日頃は、自然に感謝、実りに感謝って口で言ってたって、なんかうわべ的。
でも、実際にお供えするという行為を通して、
「ああ、天地の恵みで食べ物をいただいて、俺ら生かさせてもらってるんだなあ」
ッて感じの念が湧いてきた。
むしょうに嬉しくなってきた。
なにかとてつもなく大きな宇宙的なエネルギーの流れの中にいるような感覚。
あんまり神棚とか神社とかお供えとか、こういう「型(かた)」は好きじゃないけど、
型をとおして、日頃薄れている感覚を思いださせてもらえるんだなと、あらためて思う。
だから年に数回くらいは、こういう型もあるのもいいかな。
だから、毎年収穫祭。

そして、神棚にむかって感謝と喜びを祝う言葉を述べる祝詞。
これも型。
神棚の中に神さんがいるわけでもないし、
神社仏閣教会またしかり。
型をとおして目に見えないエネルギーとつながるためのものが、
型を崇拝するようになっちゃった今のいろんな宗教は好きじゃない。
だけど、やっぱり神棚とか何か物質的なものがあると、やっぱり目に見えないエネルギーをイメージしやすい。
だから僕も、神棚にお供えして神棚にむかって祝詞を唱える。
神棚という目処をとおして、そのむこうにある宇宙へむかって。

20代半ば、僕は古神道にすごく興味があって、
いろいろ本を読んだ。
アフリカから帰ってきたときも、なぜかいろんな神社に行きたくなって、
阿蘇、富士、伊勢、出雲に始まって、いろんな神社に行った。
嫁さんとのデートは、ほとんど神社がらみ。
「ブーブー」言われたもんだ。

古神道ってのは、今の神道が明治以降国家神道になって形骸化する前の神道の流れ。
神社でよく神主さんが「たかあまはらにかむつまります・・・」って祝詞を奏上するけど、
その祝詞(のりと)も、実はいろんなのがある。
古神道の中に、「ひふみ祝詞」というのがあって、これを奏上する。
「ひふみよいむなやこともちろらね
しきるゆいつわぬそをたはくめか
うおえにさりへてのますあせえほれけ」
日本語のもとになった「いろは」四七音だ。
最近は船井幸雄さんも本とかで紹介してるので、知ってる人も増えてるみたい。
古神道の世界に出てくる神という概念は、
古事記以降の神道よりもっと宇宙的。
あんまり型がないからか、なんか受け入れやすくって、僕好み。
そんな感じで、祝詞を高らかに唄う。
「ひふみ・・・」
あと普通の「たかあまはらに・・・」ってのも。

そして、昼前いろんな一品持って、人が子どもたちが集う。
みんなの笑顔と笑い声と歌と。
喜び。
これがほんとのお供え物。

今年もありがとう。

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