意識的に生きる(13) 〜麦刈りその2〜
2008年3月15日
うまくいってることばっかり書いてもあれなんで、
うまくいかなかった年のことも話そう。 でも結局その経験で、ますます「意識どおりだ」という確信に近づいたんだけど。 それまで毎年毎年あまりにも都合のいいように天気が変わって最高の麦刈り日和を経験してきた。 ところが、4年目だったか5年目だったかの麦刈りを一週間後に控えたころ。 実はその年、僕は揺らいだ。 天気予報は週の後半からずっと雨。 なんか今までで一番深い梅雨前線真っ只中って感じ。 さすがに今年は無理なんじゃないかという思いが頭をよぎり始める。 それに、なんか毎年毎年あまりにもことがうまく行きすぎてるような気がして。 今までのはすべて偶然だったのかも。 さすがに5年も続けて、うまくいくのは虫がよすぎる? いろんな不安や常識が頭の中でふくらむ。 「そうそう思い通りにはいかない」という深層意識に刷り込まれたプログラムが、顔を出す。 その年は、とうとう麦刈り前日までそこから脱出しきれずにいた。 僕の中のそんなもやもやとリンクするかのように、天気予報も好転するどころか、 日曜90%のどしゃ降り。 「明日は雨だったらやるんですか?」問い合わせの電話がいくつもある。 例年どおり、「大丈夫、雨降りませんから。」と訳わからない返事をかえす。 例年どおり、雨だったらの準備はいっさいしない。 だけど例年と違うのは、心の中。 「無理かも」という不安と「大丈夫!」という声とせめぎ合い、 もういくらなんでも日曜最初から晴れとは思えなくなっていた。 僕の中の心が、いろいろな折衷案をひねり出す。 県内90%でも、南から北に梅雨前線が動くなら、ここらが一番早く雨があがるかも。 朝まで降ってても、朝雨が止めば、麦刈りはできるんだから。 90%ってことは10%は降らない地域、降らない時間があるってことだし。 いろいろな理性的な考え方で、不安を抑え込もうとする自分がいた。 今から考えると、不安に抵抗しよう、抑え込もうとすること自体、不安に焦点を当てて増大させ、それを引き寄せてしまってることがよくわかるんだけど、 当時は、一生懸命不安に打ち勝とうとしていた。 自分の中でも、そんな心の状態では、またそんな現実を創造するとうすうすわかってたんだろう。 せめて言葉と行動だけでも、と、 明日のピザ釜を設置し、具を切り、麦刈りが当然行われる準備をする。 雨が降ってきたらの準備は用意しない。 人や家族に明日の麦刈りを聞かれるたびに、「大丈夫、降らんから」と言葉に出す。 そ、でもあれは晴れを確信してたんじゃなく、強がってたんだなと思う。 それでも、頭の中に、楽しそうに麦刈りを楽しむ人たちのイメージを一生懸命描く。 そんな葛藤の末、迎えた当日。 やっぱりしとしと降ってる。 朝7時、例年ならピザの生地を仕込む時間。 ここで、僕は初めて「雨だったら」の選択肢を選んでしまった。 もし中止だったら、100人前のピザ生地が台無しになる。 昨日準備した具は、料理に使えるからまだいいとしても、生地はどうしようもない。 天気予報では、ここらは昼には雨もやむといってるが、8時にはするか中止か決めとかないと、間違いなく問い合わせの電話が鳴り響くだろう。 で、8時の時点で決めようと決めた。 ピザ生地は、それから練ってもいいやと。 そして8時。 いきなり、しとしとがどしゃぶりに変わった。 空は灰色から黒っぽく。 止みそうな気配どころか、バケツをひっくり返したような大雨。 もう仮に雨が上がったとしても、麦もびしょびしょで刈りに来た人もそんな中やっても、手はびしょびしょ、畦にも座りにくいし、きっと楽しめないだろう。 中止を決める。 昼から雨があがったら、家族でぼちぼち始めよう。 参加者に電話しまくる。 連絡のつかない人もいたが、だいたい連絡し終えた9時過ぎ。 南の空が光り始めたかと思うと、 雨足が落ち、あっという間に晴れ間がのぞき始めた。 そして、9時半にはすっかり晴れ模様。 魔法のような2時間だった。 その時はじめて僕は、自分が最後まで自分を信じ切れなかったのだと気づく。 前の日、90%の予報にだんだん弱気になってきた僕は、「夜降っててもいいから、朝には止んで麦刈りの時間帯には乾いてればいいんだから。大丈夫!なんとかなる!」と、そう自分に言い聞かせてた。 つまり、そのとおりになった!ってことだ。 だけど、あとの祭り。 もう、中止ってことにしてしまった。 けど晴れたんだからとりあえずぼちぼち始めようと、田んぼにおもむいた僕は眼をみはった。 麦刈りしてるじゃん。 十数人の人たちが、田んぼの中で麦刈っていた。 連絡がつかなかった人。 去年来ておもしろかったからと、申し込みなしで友達をたくさん連れてきた人。 結局30名近い人が勝手に来てくれていて、 夕方までには予定通りの麦を刈り終えてしまった。 ピザも昼御飯も出さずに、手弁当で。 だけど、参加者が少ない分ゆっくりと話をしながらできて、それはそれでみなさん喜んで帰って行かれた。 結局終わってみれば、 僕がイメージしていた麦刈りの風景がそのままあった。 思い通りではなかったのは、当日朝までの経過だけ。 そしてその経過は、思い通りではなかったけれど、まさしく僕の意識の揺れ動きどおりだった。 この年の経験から、「意識が現実を創っている」確信が深まっっていった。 続く。 |