半農半菓
意識的に生きる(14)   〜麦刈りその3〜
2008年3月19日
毎年毎年、微妙に梅雨入りにかかる麦刈り。
週間天気予報が怪しくても、「大丈夫。なんとかなる。」と思ってたら、いつもなんとかなってきた。
うちの麦刈りでは、麦を刈ったその日に脱穀機で脱穀して、
粒にした麦を筵に広げて、数日干す。
麦わらは脱穀後すぐに、その日か次の日には田んぼに一面にばらまく。
わらはすぐにばらまくと、乾いてて軽いのでばらまきやすいが、
一度雨が降って濡れると、重くなりばらけにくくなり、作業に倍手間がかかる。
5年のうち3年は、麦刈り後、わらをばらまき終わった瞬間に雨が降り出すというほんと嘘みたいな絶妙のタイミングだった。
1年は、例のどしゃ降り一転晴れの麦刈り。
もう1年は広範囲にばらまきすぎて膨大な麦刈り量があったが、新聞の紹介などで参加者もすごく多く、1日で終わることができた。
振り返ってみれば、文字通り、毎年毎年、なんとかなってきていた。
大丈夫だった。

だけど、「なんとかなる」っていうのは、言いかえれば、「ぎりぎりなんとかなる」ってことだ。
それもスリリングでおもしろくはあるのだが、毎度毎度だとモチベーションを保つのに、けっこうエネルギーを使う。
そりゃあ、「ぎりぎり」じゃなく、案ずることなしに「余裕で」なる方がいいに決まってる。
ある年、ふと気がついた。
「待てよ。もしかして何とかなるって思ってるから、なんとかなったけどぎりぎりだったのかも。」
同じ「なる」ってことに意識をあわせるんなら、
「なんとかなる」ではなく、「余裕でなる」と信じ込んでみよう。
もうここ数年の経験で、意識が現実を創ってることには、ほぼ確信ができつつあったので、
あとは、自分に必要ない認識に気づいたら、ありたい自分に認識を取り換えるだけだ。
僕は「なんとかなる」という思考の習慣を、「余裕でなる」に切り替えた。
その年の麦刈りは僕はだいぶ前から、「余裕でなる」と思い込んでみた。
そしてまだ終わってもない麦刈りを、1週間、過去形で感謝しながら迎えた。
「いやあ、今年もすべて順調に進んだ。
みんなが喜べて、完璧だった。
うれいしなあ、たのしいなあ。
ありがとう、ありがとう(^^)」って感じで。
そして、、、その年の麦刈り。
週間天気予報はずっと晴れ。
麦はみごとに乾ききって、すべてが順調に進んでいった。
それから今まで、ここ数年の麦刈りは、前後の天気もことの運びも、すべてが順調。
そしてなによりも、参加者みんなの笑顔と喜び。
なにも案ずることなしに、まさに「余裕」でうまく事が運ぶ。
どうもそのコツをつかめたのかもしれない(^^)
し、ただの妄想かもしれない。
でも10年続きゃ、僕にとっては真実だ。
信じる信じないは、ご自由に。

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