意識的に生きる(15) 〜ひな型〜
2008年3月30日
去年、まわりの山が自分の所有地になった。
これで切りたい木を切りたいときに切りたいだけ切れるようになった。 我が家は小高い山に囲まれた谷あいにある。 南側半分にも竹と杉がそびえていて、 冬、田んぼのほとんどに日が当たらない。 それだけならそこは冬使わなければいいだけの話だが、 洗濯ものを干す庭まで、真冬はぎりぎり日陰になるのだ。 この土地に住み始めてから、それはけっこう妻にとって不便なことだと気がついた。 で、この南側の山の木、全部が落葉樹だったら、冬は日当たりがよく、夏は適当な木陰があって、最高なのになと思ったわけ。 それにせっかく山に恵まれた土地なんだから、 山の中に秘密基地を作ったり、 この木で家を建てたりできたらなあと当然考えた。 それで、持ち主を調べて、売ってくれませんかと交渉に行ったわけだが、 いろんな理由から「まったく売る気なし」。 杉だけでも全部切らしてもらえたら、と一応聞いてみたが、バツ。 さあ、そこで、いつもの魔法を応用することに。 *’’・*。 | ’*。 ,。∩ * + (・ω・’)*。+゜ ’*。 ヽ つ*゜* ’・+。*・’゜⊃ +゜ ☆ ∪~ 。*゜ ’・+。*・ ゜ 意識どおりに現実が引き寄せられるのなら、 山が自由に使えるようになりたいな、という思いは、山を遠ざける。 「山を自由に使いたい」と思えば思うほど、「山を自由に使いたい」と思う現実を創造する。 つまり、「山が自由になっていない」現実だ。 なぜなら、「山を自由に使いたい」とは、言いかえれば、「山が自由にならない」と認識してることだから。 要は、「山が自由に使えてる」ときの思考と言葉と行動になればいいのだ。 そう心から思える人は、あっという間にその現実を引き寄せるだろうが、 たいていの人は、現在そうなっていない状況の中で、なかなかそう思い続けることは難しい。 だから僕はよくこんな方法をとる。 全体をつくりたいとき、まず模型をつくる、あるいは部分をつくる。 ミニチュア版、ひな型をつくるのだ。 この山の件でいえば、 まず持ち主にかけあって、境の沢沿いの雑木と竹なら切ってもいいよと許可をもらった。 で、うちの土地に覆いかぶさりそうだった竹林は皆伐して、一部の田と洗濯干場の一部の日当たりは改善された。 それから一部の雑木林で子供の遊び場を作ってもいい許可ももらった。 そして部分だが明るくなった田で作物をつくり、その喜びを満喫する。 子どもたちの遊び場をつくり、その喜びを満喫する。 ポイントは、できている部分に焦点をあわせること。 その喜びと感謝に意識をフォーカスすること。 実際には、自由に使えてる部分は全体の1%にしか満たないとしても、 その1%の「ひな型」にフォーカスすることで、「山が自由に使えてる」ときの意識をキープしやすくなる。 自然と自由に使えてる言葉をだし、自由に使えてるかのような行動になる。 そうなったら、しめたもの。 もうひとつのポイントは、執着しないこと。 何かへの執着は、その何かを遠ざける。 「〜が欲しい」という思考は、「〜が自分にはない」と宣言してると同じことだから。 宇宙は、宣言どおりに、意識どおりに働く。 山全体を自由に使っているイメージ、ビジョンを強烈にインプットしたら、山全体を自由にしたいという願望は、横に置いておく。 忘れるってことだ。 ただし、あきらめるのではなく、 そうなることを確信し、待つってこと。 だって、そうなることが確実なら、もう意識しないでしょ。 明日の朝、また日が昇るのと同じように。 ちなみに「果報は寝て待て」とはよく言ったものだと思う。 これで魔法の材料と段取りはできたも同然。 さて、2年くらい寝て待ってみたかな。 あれほど売らないと言ってた山を、買わないかと持ちかけてきた。 しかも目の前の山だけでなく、周りの山全部。 僕がまるで自分の山のように、山道を整備し、子どもたちとかけまわったほぼ全域だ。 そして今、この山の竹、杉、ヒノキを切ることから始めている。 落葉樹やいろんな木を植えて、単相になった生態系を 元の豊かな生態系の森へと変えようと思っている。 森に子どもたちの遊び場を作り、 そして切った木で、何棟もの家を作る。 新しい共生型コミュニティの土台作りだ。 察しのいい方は、お分かりかもしれないが、 小さなひな型をつくって創造し、実現させたこの山。 自由になったこの山を使って今取り組み始めているすべてが、 実は新しい世界を創っていくための新たなひな型でもある。 そして今、たくさんの場所で、たくさんの人たちが、たくさんのやり方で、いろんなひな型を創り始めていることを、僕は知っている。 混乱した世界の中で、不安と恐れと絶望にフォーカスするのでなく、 今は1%にも満たないかもしれないその新しいひな型の中で、 喜びと感謝と希望にフォーカスしている人たちを。 ちょうど1年前の春、エッセイに書いた「芽吹き」。 http://oh-shita.com/slowlife/essei/36.html やがて燎原の火のごとく 萌え出ずる春の緑のように、 変わっていく世界を僕は確信してる。 春近し。 |