意識的に生きる(20) 〜欧舌的経営〜
2008年6月1日
父と母が経営してきた欧舌を受け継ぎ、リニューアルしたのが8年前、
以来、僕の立場は、一応経営者。 僕の経営手法は、たぶん極めてユニークだと思う。 店の目的はただひとつ。 この店を、新しい時代の経営スタイルの一つのひな形にすること。 そのために変わった試みがいろいろある。 ◎ みんなが自分のやりたい時間やりたいことだけ関わって、店全体が成り立つように。 ◎ スタッフみんなの意識が、支配と隷従から解放されるように。 ◎ 高く買って安く売る。 ◎ なるべく自分たちで、地域で自給した材料で。 ◎ 店を大きくしない。持続可能な規模に。 ◎ それでも出た利益は、働きに応じてスタッフで分ける。社会に還元する。 ◎ 農を優先。麦刈り田植えのため数週間休んだりする。 ◎ 会計を完全透明に などなど。 新しい時代にこんなだったらいいなと思うシステムは、すべて取り入れる。 さて、誰だってそうできたらいいなと思うかもしれないが、 経営者側の内側には、普通恐れが存在する。 「そんな理想を求めてたら、馬鹿正直にやってたら、成り立たない」っていう。 そう、理想を求めて今が成り立たなかったら、意味がない。 だけど、欧舌の経営はこれまで8年間、超順風だ。 もちろん支えてくれたお客様のおかげ、スタッフのみんなのおかげ。 そしてそれを成り立たせるために、経営者の僕が気をつけてることは、たったの一つだけ。 「いつもちょうどいい仕事、ちょうどいい人でありがとう」っていう意識をキープしとくことだけだ。 あとは何もしない。 ほんとに一般的な経営的なことは何もしないのだ。 だって完璧にちょうどいいことがわかってたら、何もする必要がないから。 「ちょうどいい」という意識をキープできてる限り、 嘘のように完璧に、ちょうどいい出来事がおこりながら、全体が成り立ってきたし、 これからもそうだろう。 聞いたら驚くかもしれないが、たとえば、、、 経営分析、販促、いっさいしない。 レジのお金、合わせない。 昔NTTに勤めていた頃、企画課という部署にいて、経営戦略を仕事にしていた。 分析、販促、超データ好き人間だった僕。 それが、人は「意識的に生きれる」ことを知って、今や真反対。 分析したら、そのデータにとらわれて、その範疇の出来事しか招かなくなることに気がついた。 次に起こってくる出来事の可能性の枠が、その人の常識とデータの範疇にせばめられてしまう。 でも本当は起こってくる出来事の可能性は無限にある。 どんな優れた人間だって、しょせん人間の考えることは限られてる。 仮に完璧な予測と対策プランを立てれたとしても、 それを遂行するために、人や出来事をそのように動かしたり、動かなかったらストレスになったり、 そのための精神的労力はすごいものだ。 だけど、完璧にうまくいくことを信頼しきっていたら、分析と対策からは決して導き出されなかっただろう出来事が起こってきて、結局うまくいく。 まるで嘘のようにうまくいく。 そうならないのは、何かしなければうまくいかないのではないか、と思い込んでる意識があるときだけだ。 いつもうまくいくことがわかってるのなら、 分析して対策を立てる必要もなければ、販売を促進する必要もないってわけだ。 レジのお金を合わせないのはただ単に無駄だと思うから。 まず小銭を数えるだけでも結構時間がかかるし、毎日それを数える時給を換算すると、間違いや誤差が生じる確率、金額と比べて、なぜどこもそんなことをしてるのか、僕には不思議だ。 もし仮に間違いがあったとして、誰が間違ったか追及し、責任を取らせて何の得があるのだろう。 そしてうちが損したとしたら、誰かが得したわけで、それはいいことだ。 うちには常に充分あるんだから、なにも問題ない。 そう、そして「常に充分ある」と思ってる限り、常に充分ある状態がやってくるのだから。 これだけ高い材料を使いながら、安い値段で売り、田植えのために1か月休みながらも、 「欧舌」というシステムが成り立ち、利益が出ているのは、 「それでうまくいく」という意識をキープしてるからに他ならない。 この意識がキープできない人が中心にたったら、間違いなくうまくいかないだろう、と思ってる。 新しい試みをしながら、今の時代の中で、経済的に成り立たせるのは、 実はそれほど絶妙なバランスの上に成り立っている、のかもしれない。 だけど、できる。 できるのだ。 もう古い時代のシステムは、すべてが行き詰っている。 新しい時代は、誰もが、自分のあるがままで生きる時代でありたい。 自分のやりたいことをやりたいだけできる時代。 自分の本音で生き、人の本音を受け入れ、お互いを理解できる時代。 でも今の時代は、いまだ古いシステムが幅を利かせる時代。 だから、社会が変わるまで、我慢しなければ、合わせなければ、うまくいかない、成り立っていかない、・・・・。 自分一人が変わっても、まわりが変わってなければ、うまくいかないから・・・。 でも実は、そんな怖れこそが、うまくいかない唯一の原因かもしれない。 今、ここから、 それぞれが自分の足もとから、 新しい社会の青写真を、写し取りたい。 恐れを手放して、新しい一歩を踏み出そう。 「それでうまくいく」「大丈夫」という意識が、きっと閉じていた可能性の扉を開くから。 |