意識的に生きる(21) 〜吾れ唯足るを知る〜
2008年6月22日
10代後半、20代前半とお金をかせぐことばかり考えてた。
食べたいものを食べ、着たいものを着、乗りたい車に乗り、したいことをし、買いたいものを買っていた。 でも、一つ手に入れても、そのとき一瞬は満足するのだが、すぐにもっと別のものが欲しくなる。 手に入れても手に入れても、埋まらない空虚感。 お金や物では満たされることはないと20代半ばでやっと気付く。 そして正反対に振れた20代後半。 30歳で故郷に帰り、10年。 その頃に知った。 人は自分の現実を自分で創っているんじゃないかと。 家業を継いだ。 もっと活気のある売れる店にしようと考えた。 そして、それを実現した。 ところが、店は忙しく売れる店になったが、自分の自由な時間がなくなった。 違う、自分はこんな生き方を求めてたんじゃない。 店は暇でもいいから、時間が欲しい! 店が暇になって、時間がたっぷりある自分をイメージし、そのように動いてみた。 そして、今度はそれを実現した。 ところが、時間はできたが、店が暇になると急に不安になった。 このままじゃ、成り立たないんじゃないか。 結局、時間もお金も程よくあれば満足する自分を発見する。 以来、「ちょうどいい」あたりを意識してる。 借りてた田んぼでは、いつか返さなくちゃいけないので、自分の田んぼを求めた。 山の上の方の水のきれいな、自由に水を使える田を。 住む家の目の前に田んぼがあって、水の監視が簡単な。 そして、それを実現した。 ところが水は豊富だが、地中に豊富に水脈がありすぎて、毎年どこかに大穴があく。 しかも砂気の多い超ザル田で、水がたまらない。 結局、別のところにもう一枚田んぼを求めた。 店の横に住んでいたが、もっと自然と一体となった暮らしがしたい、と考えた。 山も川もあって、田も畑もそばにあり、鳥の声の聞こえるような。 水も食べ物もエネルギーも、材料も、生きるのに必要なものがそこで手に入るような。 そして、それを実現した。 ところが、山と川がすぐ横にあるということは、要するに谷だ。 日当たりがむちゃくちゃ悪いことに住み始めて気付く。 朝が遅く、日暮れは早い。 空気は澄んでて星空はきれいだが、空の大きさは半分だ。 川はコンクリートの三面張り、山は杉山で、生命の量も種類も少ない。 ・ ・・。 ・ ・・。 ここに住み始めてちょっとした頃、 やっと気付いた。 僕は一体どうなりたかったのか。 たしかに人は、意識的に自分の求める現実を創れる。 フォーカスしたものを引き寄せれる。 けれど、人の、自分の求めてたことのなんと浅はかなことか。 川が横にあるというシチュエーションを手に入れれば、いやもっと魚がいたらよかったといい、 山が横にあるというシチュエーションを実現すれば、いやもっと落葉樹があればよかったという。 結局片手落ち。 じゃあ、もっと綿密に細部まで意識して現実を創造していくのか。 たとえば家のロケーションだけでも、 山も川もあって、でも谷じゃなく開けてて、朝日も夕日も拝めて、 山は広葉樹の森、川には魚や生き物がたくさんいて、でも蚊は少なくて、 水は豊富だけど、じめじめしてなくて、日あたりもよくて、でも涼しくて、・・・・・。 そんなとこ、あるかい! いや、あったとしても、今度は台風が直接当たるとか家がすぐ傷むとか言って、 また不足をいうに違いない。 細かく設定したって、結局どこかが抜けてるに違いない。 ましてそんな細かいことをいちいち現実化するために日常の中に意識してたら、家のことだけでノイローゼになりそ。 そして幸せの要素は、家のロケーションだけじゃない。 家族の関係、人間関係、精神、お金、もの、社会も環境も。 それほど、自分のしょうもない自我が求めてる幸せの要素は、限りなくある。 これを手に入れれば、今度はあっちがよかったといい、 あっちを手に入れれば、今度はいやこうだとは思わなかったという自分。 10代20代の頃と何も変わらない。 あの頃は、お金という「力」。 その力でいくら欲しいものを手に入れても、満たされない心。 そして30代前半、今度は意識という「力」。 でも結局、その力を使っても、モノやコトへの執着がある限り、満たされることはなかった。 何かが足らないという動機が根っこにある現実創造は、結局足らないと感じるものを生む。 よく考えたら、これも意識どおりだった。 たしかに、意識が現実を創っている。 だけど、どのレベルの意識かで、状態も結果もずいぶん違うようだ。 結局自分はいったいどうなりたかったのか。 何を求めていたのか。 そう、幸せという状態を求めてたんだ、と気付く。 ならば、方法は簡単だ。 幸せであることを意図するだけでいい。 そして、現実創造の法則を知った今、幸せであるためには、 ただ今を、幸せだと思い、幸せだといい、幸せな行動を選ぶだけでいい。 今、すでに充分にあることを、気づくだけでいい。 なんて、シンプルなんだ。 僕が求めていたものは、モノやコトだったんじゃなくて、 状態だったんだ。 うれしいな、たのしいな、ありがたいなって思える状態。 そして、それは受け取り方次第で、いくらでもそう思える。 自分次第で、実現できる。 自由自在に、 この瞬間に。 そして幸せだと思ってる限り、さらに幸せが向こうからやってくる(^^) そう思えるモノ、コトを宇宙が最適に設定してくれる。 |