祝星と灯と
2007年5月22日
20日、平和の灯は、無事ホクレアに手渡すことができました。
その夜、ホクレア号の大島小松港到着とともに、ナイノア以下、クルー 全員の手に分灯されたろうそくが灯り、瀬戸内の海に鎮めてあげたとの 報告を受けました。 ナイノア以下、みんなが涙をながしていたそうです。 実は、ここまでの間、いろんなことがありました。 ひょんなことから原爆の残り灯を預かることになった僕。 なぜ、僕なんだろうと思っていました。 帰りの道中、ふとホクレア号がちょうど僕らの目の前の海を横切ろうとしていることを思い出します。 そうだ、ホクレア号の人たちにこの灯を渡そう、そんなインスピレーションが浮かんだ。 けど、そのインスピレーションが、僕の勝手な自我から出たものか、それとももっと別の所からきたものか、自分でもよくわかりませんでした。 それで、まあ、必要なことならそのように進むだろう、と事を天にまかせてました。 さて17日、広島のNさんのところに灯を持っていくわけですが、分灯用のランプを東急ハンズで買おうと思ってたら、もう閉店まじか。 そしたら、Nさんのところに来てた知人Oくんがちょうどバイクで来てて、「僕が行ってあげよう」というので、30分の道のりをバイクを走らせてくれました。 ところが、彼は途中で財布を落とし、数時間探し回って焦燥しきって帰ってきました。 そんなこともありながら、ランプに分灯し、また我が家に持って帰って、ホクレアを2日間待つことになるのですが。 次の朝、ランプの炎をしぼめすぎて、なんと、消してしまったのです。 「あちゃー」と思いましたが、結局僕の勝手なひらめきで、必要のないことだったんだろうと思い、ホクレアに渡すのは、その場でやめにしました。 そして車に行くと、なんと夕べ広島で平和の灯の関連グッズ一式を渡したはずが、ランプの滑り止めマットを渡し忘れてたのです。 一瞬、「また広島に行け」ってことなのかなとも思いましたが、連日家を空けてるし、もういいや、郵送しよっと思ったとき、よぎったのが、昨日のMくん。 彼にあんな大変な思いまでさせて買ってきてもらったランプを、こんなに気まぐれのようにもういいやってのも、ちょっとな、と思い直して、夕方になって、広島に行くことにしました。 その晩、涙雨のようにどしゃ降りの原爆ドーム前で、たくさんの人たちが集まっていました。 おごそかに平和の灯がたくさんのキャンドルに分灯され、それぞれが祈りを込めたあと、また大きなろうそくに戻されていました。 川辺におかれたたくさんのキャンドルの間を豪雨でできた川のような雨水が流れて行って、まるで灯篭流しを岸辺でやってるようでした。 そして20日当日。 僕はチャーター船に乗って、子どもたちとホクレアに出会うつもりでしたが、 急きょ、漕ぎ手が足らないということで、櫂伝馬に乗ることに。 後でわかったことですが、チャーター船に乗ってたら、ホクレアに近づけず、灯は渡せなかったでしょう。 そして櫂伝馬も、僕がたまたま乗ったあの位置でなかったら、ランプは途中の横波での揺れで、こけていたでしょう。 なぜなら、僕が乗った位置にだけ旗をつけた竹が、ひもでくくってあり、ちょうどその端が30センチほど余ってたので、ランプを固定することができたのです。 今、考えると、一度灯が消えて、広島に戻ったこと、過程でのいろ んな出来事、とても意味があったことだと思います。 あの夜、Oくんが大変な思いをしてまでランプを買ってなかった ら、 僕はランタンマットは郵送してそれで終わり今回のことはなかったこと にしていたでしょう。 18日、ドームまで里帰りしてみんなの祈りの心も合わせた その灯をホクレアに渡す必要があったのかもしれません。 すべては不思議なほどに用意されてました。 僕はほんと、使われたって感じです。 18日の夜、雨と川での水と灯と霊との融合。 20日夜、海での水と火との融合。 火と水。 火(カ)水(ミ)・・・・。 そしてこれからは、星の時代。 灯は、母なる海へと還っていく。 原爆と原発という分裂のエネルギーから融合のエネルギーへ。 僕の中では、言葉にならないいろんな想いがありました。 スケジュールが後れていた中、いろんな人たちがホクレアに心やモノを 渡したいという状況の中で、まして舟の上、 言葉たらずの説明に、灯を渡した意味とその処理の仕方に、少々大丈夫 かな、理解してもらえたかなとの思いも浮かびました。 が、僕の予想をはるかに超えて、 完璧なまでに、 想いを受け取ってさらに彼らの深く広い想いをのせて、 灯に向かい合い、 そして、この星に融合してくれたことに、深い共感と感動を覚えました。 ナイノアさんはその後の大島町での講演でもその平和の灯のことを紹介 され、こうも話されてたそうです。 …戦争と平和のどちらをわれわれは選ぶのか。どのような価値観を抱い ていくのか。 もしあなた方が自分たちの住んでいる土地や文化に根ざしていないとし たら、また(とくに若い世代が)民族としての自覚や尊厳を忘れてし まっているとしたら、私は懸念を覚える。 大人たちの価値観を体現していくのは子どもたちだ。教育は最も重要、 何を教え伝えていくのか… この灯に関わらせてもらったすべての縁に、心からありがとう。 |