大丈夫
2008年10月12日
欧舌、稲刈り休みの1日目。
今日は、みんなで植えた自然農の田んぼの稲刈り。 集まった20名くらいの大人たちと、子どもたち数名。 耕さず、6月草の中に植えた一本の苗。 初めての人は、みんな半信半疑。 その一本が、30本から40本に分けつして、しかも大きな穂がついて。 たしかな実り。 太い株もと。 毎年のことですが、 最初から通して参加してる人は、みんな驚きます。 1日仕事を予想してたんだけど、 刈って、束ねて、干して、と2時間で終わってしまいました。 昼すぎにやる気満々で来た人は、あれっ?って感じの人も。 毎回思うけど、 人数がいるって、すごいなあ。 この作業、1人でやったら、やっぱり楽しくないんです。 稲を刈るのは楽しいけど、 束ねるのがだんだんつらくなって、 そのうち、 修行モード。 でも、人と一緒だったら、 話しながら手を動かしてるうちに、 いつのまにか終わってるって感じ。 今日は、懐かしい人も来てたりしてて、10倍うれしい楽しい1日でした。 ちまたでは、金融不安が懸念されて、 みんなが不安になりかけてるこの頃。 でも、ここには、 変わらない平和と日常がある。 生きていくのに必要な食べ物。 その中でも、やっぱ米は王道だ。 やっぱ、主食。 小麦がなくて、パンが食べれなくても、なんとも思わないけど、 米がなくて、パンばかりだったら、やっぱり、ちょっと・・・。 芋ばかりも・・・。 主はお米。 バリエーションに、小麦で、パン、麺。 副に、菜、豆、芋、雑穀。 そんな感じがいい。 そのお米を、自分たちでつくれる、という自信。 1年をまた生きていけるという安心。 機械がなくても、 石油がなくても、 自分たちの力で、 そのお米をつくれたら、 なにがあっても、大丈夫。 お日さまがあって、 大地があって、 水があれば、 どんな変化があっても、大丈夫。 仲間が、家族がいれば、 どんな作業も、楽しいものに変わる。 機械でお米を作ってる人も、それができる間は、そうやって作ればいい。 今、お米を作ってない人も、買えるうちは買えばいい。 ただ知ってればいいと思うのです。 機械が使えなくても、 お米が買えなくなったとしても、 自給の分くらいは、簡単に作れるやり方があること。 誰でも、素人でも、やれるやり方もあること。 耕さなくても、普通にお米ができるやり方があること。 ここらには、余りまくった放置された田んぼも山ほどある。 いざとなれば、どうにかなる。 もしそうなったら、いくらでもやり方、教えますから。 だから、大丈夫。 安心して、日々のことに向かい合おう。 不安にならないように、 目の前のいろいろなことを変化させていこう。 お金に支配される日常を足元から、変化させていこう。 それぞれの日常を。 横の田んぼで、子どもたちは迷路作り。 小学生が刈って作った稲の迷路を、ちっちゃな子たちが、きゃっきゃと通る。 その横で、 火を焚いて、枝豆が茹で上がる。 実った稲穂をにぎりながら、 心の底から、豊かだなあ、と思う。 この平和、広がれ、 世界へ。 |