半農半菓
意識的に生きる(28)   〜「やる」と決めたとき〜
2009年7月28日
7月14日のブログで「保育園を始めます」って書いたけど、
実は、「やる!」と決めて、先生や内容が決まるまで、たったの5日間。
周りも「えっ?」というほど、あっという間に骨格が決まった。

20代の後半の頃から、いつか保育園みたいなこともできたらなと漠然とあった。
結婚し、子どもがそういう時期になる度に、できたらいいなと思ってたが、
常にさらに下の子がいたり、僕自身もなんやかやで、無理してやれば嫁さんに迷惑がかかること必至で、見送っていた経緯もある。
特に今通わせている幼稚園に不満があるわけでもないが、
こうであればもっといいなという思いもある。
ちょっと遠くまでいけば、いい感じのところもあるが、毎日のことだけにそれはストレスだ。
同じような思いを抱く人の話を聞くたびに、その必要性は感じてた。
「ベスト」がないなら、つくればいい。
だけど、現状的に自分が今始める余裕はなさそう・・・。
そんな感じで時が過ぎてきてた。

ところが今回、「やりたい」から「よし、やろ」と決めたとたんに、嘘のように縁が次々と舞い込んできた。
僕自身もとっても驚いた5日間。

7日火曜日、「やる」と決める。
8日水曜日、うちに来た人に話し、補助のKさんと食事を作ってくれるMさんが決まる。
9日木曜日、自主保育の勉強会をしたいので話がしたいと言ってる人がいるとMさんから連絡がはいる。
12日日曜日、フリースクールで保育をしていたMさんが4月から先生を引き受けてくれる。
みんなで話して、骨格が決まる。

って感じ。

さらに、9日、宮城県から突然メールが入る。
パティシエの募集してないですか?とのこと。
福岡正信さんの著作に影響され、自然農法で田畑もやってみたいという。
ちょうど、保育園やコミュニティの諸々を作っていくのに、もう一人職人がいれば僕が動きやすいけどな、と思っていたところに、すごいタイミングのメール。
今度こちらに訪ねてきてお互い会って話してみて決めるので、最終的にどうなるかはまだわからないけど、
このタイミングで、こんな話が来ること自体に、僕は驚いた。

前に、腐っても鱒に書いたので、ここでは詳しくは書かないけど、
「やりたい」という意識は、常に「やりたい」という状況を創造する。
意識してないけどその言葉の陰には、
「やりたいけど、〜があるからなあ」というなにか意識のブロックが存在する。
「やる」と決めた瞬間、ブロックは消え、「できる」ための要素がその瞬間に出来上がる。
そして時系列に沿って、この3次元の空間に現れてくるのだろう。
不安になったり、気が変わったりしなければ・・・。

まあ、直線的な時間軸を超えた次元からみれば、
今この瞬間にすべてのシナリオは存在してる。
ただ自分が「やる」と決めた瞬間にそのシナリオに移行しただけに過ぎないのだろうけど。
結局、いつそのシナリオを選ぶか、だけの問題なのだ。
今回のことで、またそのことを強く実感した。

それから、「やる!」といっても、すごい意気込みでそう決意したわけでもない。
もっと自然体の「やる」だ。(^^)
村田英雄の「人生劇場」みたいに、
「や〜ると〜決めれ〜ば、どこま〜で〜やるさ〜」って感じの意気込みは、どんな障害も乗り越えてやるぞっ!って意識が背後にあるように感じる。
それは、乗り越えるべき障害や困難をわざわざ創造するんじゃないのかな。
まあ、それはそれで、楽しい経験だけど。
そういうシチュエーションが好みなら、ね。
僕は、軟弱者なんで・・・。

さらに今、時間の加速によって、僕らが知覚するこの直線的な時間軸の中に、意識の結果があらわれてくるのが、速くなってるのだろう。
いいも悪いも、いろんなことがあらわれてくる速度が速くなっている。

この世界は、原因と結果の法則に支配されている。
時間の加速が進むにつれて、意識という原因と起こってくる出来事という結果との関連性に気付き始める人が増え始めてるみたい。
それは、
外を変えようという動きから、
それぞれの内面へと自然と向かわせる。

水面下、
人類という意識の巨大な転換点が近づいてる気がします。

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