半農半菓
意識的に生きる(30)   〜対立の中で〜
2009年9月27日
荒れる波の上で
荒れる波の上で
カヤック教室
カヤック教室
源之助さんの歌はいつ聴いてもえーなあ
源之助さんの歌はいつ聴いてもえーなあ
ソーラーで発電
ソーラーで発電
宙と真
宙と真
9月22日、僕は朝からカヤックの上にいました。

中電の工事着手に待ったをかけるためです。
意味がわからない人は、祝島島民の会の呼びかけをご覧ください。


10日からずっと12日間、海上で直接、中電の船を止めてきた祝島の漁船が、
今日から来れないと聞いたためです。
加えて、今まで漁船とともに動いていたシーカヤック隊の隊長、原くんが3日間いないと聞いて、せめて彼のいない間だけでも、と。


祝島の漁船がいないとなれば、ここを契機と中電は工事を強硬に進めるでしょう。
陸から、反対を唱える人々の声を無視して。
舞台が埠頭から埋立地に移ってしまえば、立地的にみなの声が届きにくくなります。
メディアも取材しにくくなります。
そして、一番気になったのは
あきらめに傾く人、
怒りに傾く人、がなお一層増えていくこと。
このままでは原発が建ってしまうという怖れや怒り、あきらめが心に作るイメージは、
そしてその集合の意識が創り出していくパターンは、
僕らが望まないものを創り出していくに違いないからです。
今ならまだみんなの希望がつながっていく。
ここが、橋頭保。
この日、強硬に進めようとしてくるに違いない中電の船の前に立ちはだかりたいと思いました。

昨日のブログで、
屁理屈をいろいろこねましたが、
それが僕の日頃考えていることですが、
誰かの命が脅かされそうな時、
元に戻せないものが失わされそうな時、
暴力を止めるために力を、
対立を止めるために対立しなければならない、
そんなときもあるとも思うのです。

これまで生活を犠牲にしながらも、阻止行動を続けてくれてきた祝島の人たちが少しでも休めるように、
そして、祝島や運動をしてきた人たち以外にも、
もっとたくさんの反対の意思があるんだということを、示したかったからでもあります。

朝9時頃、僕は仕事に切りをつけて、ちょっと遅れて海に出ました。
風が強く、波が荒れかけ、小雨が降る中、
すでにカヤック数艇が、中電の船と対峙していました。
幸い、カヤック隊は、僕の思いと同じく、非対立、非暴力でいこうと意思統一されていました。
(ガンジー作戦?)

形としては、カヤックによる中電の工事台船の接岸阻止なのですが、
僕の中では、私たちはこう思ってるという、あくまで意志表示としての行動でした。
もっとたくさんの意見があることを知ってもらい、
それらが無視された中での工事着手はやめてもらいたい、という。
もちろん、その意志が伝わるまでは、断固ここを動かないという強い思いがありましたけど。

対立の渦中に身を投じながら、
心の中に、対立や否定や怒り、怖れをもたないよう、
ただニュートラルな心を保って、意志を伝えよう、
それだけを心がけて・・・。

中電の船と揺れる波間で対峙しながら、
時には、激しく威嚇、接近してくる船を目の前にして浮かびながら、
実は不思議な感覚でした。
荒れる波間や、緊迫をよそに、とても静寂な空間に包まれていたからです。
陸から見ていた人たちに後で聞けば、ヒヤヒヤドキドキの連続だったらしいのですが。

この目の前の中電の船の方たちは、上からの指示とプレッシャーの中で、
きっと大変なんだろうなあ、
御苦労さんです。
それに比べて、僕らは自由に自分の意見を述べて、思いのままに行動し、
このカヤックという船さえ、自由自在に自分の意志で動かせる。
なんて幸せなんだろう。
ありがたいなあ。
そんなことも考えながら、数メートル前の拡声器で叫ぶ中電の人の目をじっと見つめながら。

そしてほとんどの時間は、海と波、空と遠くの島々を見つめていました。
自然ってすごいなあ。
きれいだな、美しいなあ。
なるべく、この美しい自然にフォーカスするように。

だって、原発なんてまだどこにも影も形もないのだから。
それが存在するのは、
国や中電の計画書の中と、
このままでは建ってしまうという怖れや焦りの心の中にだけなのですから。

僕も含めて、最近たくさんの人たちが、意識が僕らの現実に及ぼしている影響に気がつき始めています。
僕自身も日々の身近なたくさんのことから、
意識が焦点をあわせたもの、フォーカスしたものが、創り出されていく、
引き寄せられていくことを知りました。

だから、たとえ中電の船が目の前にせまっても、
僕がフォーカスしたいのは、
その足もとの豊かな海。
その向こうの島々や
そこで暮らす人々の幸せな笑顔なのです。

そんなことをぼーっと考えている間に、昼ごろ、
中電の過激な行動を腹にすえかねた祝島の漁船5隻が駆けつけてくれました。
祝島の船が来たとたん、中電の船の過激な行為も発言もなりをひそめ、
事態は波を引くように、沈静化していったのです。
そして3時頃には、中電は引き揚げて行きました。
まるで、水戸黄門さんに助けられたお百姓さんの気分でしたね。

それにしても、祝島のおっちゃんもおばちゃんも、かっこいい。
とくにおばちゃん。
言葉は過激なんだけど、なんだか気持がいいのです。
僕は普通は、攻撃的な発言や、シュプレヒコールなど、
ちょっとその場にいるのが心地よくないんですが、なんでかな。

それにしても、中電のころっと変わった態度を見て、
祝島の方々の27年間の思いの重みをしみじみ感じました。
本当にありがとうございます。

中電の船が帰ると、祝島の人たちが船から、何度も何度も「ありがとー!」と叫んでくれました。
いえいえ、とんでもない。
こっちこそ、今日も今までもありがとうなのです。
会場には「ありがとう」のシュプレヒコールが、鳴り響いていました。
午前中はあれほど怒りのシュプレヒコールが渦巻いていたのに。
空間を包んでいたネガティブな波動が、
いつのまにか感謝と喜びと希望に満たされた心地よい波動に変わっていたのです。
それに呼応するかのように、午前中荒れていた波もいつのまにか凪いで、

それはとても感動的な一日でした。
そしていろいろな流れが変わる決定的な一日ともなったのです。

あれから5日、
中電の船は姿をあらわしていません。
海では、カヤックがただよい、
おだやかな日々が続いています。

新しくカヤックに乗りたい人たちが練習したり、
子供たちとカヤックに乗ったり、
浜で遊んだり、
昨日は、源之助さんのライブがあったりもしました。
お日さまの力で音響機器を鳴らす自然エネルギーライブ!

このあいだは、カタクチイワシの大群が何百匹も飛び跳ねながら移動していくさまを、カヤックから目撃しました。
もう、感動!!
スナメリに追われてきたんでしょうか。
ここ数日たくさんのスナメリも現れてます。
この佐賀でとれるイリコは、他の所よりも美味しいらしいです。
それだけ生態系が豊かってことなのかな。

これからもずっとこのゆたかな海で、
音楽を楽しんだり、子どもたちと遊んだり、できますように。
心から願います。

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