半農半菓
おうちえんリフォーム  基礎つくり3
2010年1月23日
形が見えた
形が見えた
兄弟の中では一番ねばりがある真
兄弟の中では一番ねばりがある真
ずっとしゃべってる宙
ずっとしゃべってる宙
店が休みの間、型枠をつくって、コンクリートを流し込んで2日。
今日、型枠を外した。

出てきた、出てきた。
形が見えてきた。

真と宙と一緒にやる。
意外と真が根気強く頑張った。
金具をはずすのを、ほとんど彼がやってくれた。
大人半人分くらいの仕事はしてくれた。

宙は?
はっはっは。
子どもは真似しながら育つという。
真似するのはいいけど、
まだ完全に硬化してないコンクリートを金づちでコンコンたたきまくってくれた。
10分おきくらいに手袋が外れたといっては、はめろという。
おまけに最後は
宙用に用意した小さな建具用の金づちをなくして、それを探すのに1時間・・・。
やれやれだ。

ついイラッとしてしまう自分がいたりする。
急がないと間に合わないだとか、
こどものペースに合わせてたら、1時間で出来るところが2時間かかる。
今日やろうと思ってたことが終わらないだとか。
頭の中の予定や、未来に意識が飛んでいる自分に気づく。
不調和な自分に気づくときは、だいたいそんなときだ。

そもそも、このリフォームしてる「おうちえん」の一つのありたい姿は、
大人の手仕事を自然に真似して育つ日常、だ。
今ここで起こってる宙のやんちゃも、
真のゆっくりペースの手伝いも、
「おうちえん」のありたい姿、理想の形。
その「おうちえん」をつくるために、そんな理想の今を見失うなんて、本末転倒。

家をつくるとき、時々脳裏に浮かぶ、小さい時の記憶。
僕のじいちゃんは大工だった。
かんなで木を削る姿。
墨付けする真剣な顔。
棟上げしたばかりの家の木にぶらさがったり、平均台みたいに渡ったり。
断片的だけど、くっきりとしたその情景。
金づちを持ち歩いては、真似したり、隠したり、なくしたりして、じいちゃんに怒られてたらしい。
(ちなみに今日宙がなくした金づちは、じいちゃんの道具だ)
今、家作りに夢中になってる僕の基礎には、そんな記憶がしっかりと埋め込まれてるのかもしれない。
今、人生の基礎を固めてる3歳5歳の彼らの意識に今日の情景は、どのように組み込まれていくのだろう。
見えないけれど、大事な基礎つくり。

そんなことを瞬時に想いながら、
すぐさま、今ここに焦点をチューンし直す。
今日の予定や段取りを頭から消す。

不思議だ。
今ここにフォーカスしたとたん、喜びに包まれる。
子どもたちとこんな時間を共有できること。
なんと幸せな時間。

仕事も、親父が手伝いに来てくれて、いつの間にか終わってたし。

時間から解放されれば、
そこは喜びの世界。

宙の手袋をはめ直しながら、
アマゾンの先住民の言葉を思い出す。

ー私たちは、喜びと幸せのために生まれてきた。
   楽しく遊ぶために、この大地で歌い踊るために生まれてきたー

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