半農半菓
旧暦新年おめでとう
2010年2月14日
旧暦新年あけましておめでとうございます。

先日の春の始まりを告げるような異常な陽気の中、
梅の花が一斉に咲き始めました。
新しい年を祝うかのように、周りの木々には梅の花が咲き乱れています。

ちまたではチョコが飛び交うこの日。
ちなみに、欧舌は日曜なので、休みですが。
(そういうケーキ屋、全国的にも珍しいかも)
江戸時代までは、昨日までにもちつきして、
今日が元旦、お正月。
旧暦を合わせて使っていると、日々僕らが振り回されてるカレンダーやイベントって、いったいどういう意味があるんだろうと思ってしまいます。

本来の季節のめぐり、自然のリズムとずらされた現代のカレンダーは、
僕らの中の何かを狂わせるために、意図的に導入されたのかも。

今年の大河ドラマは「竜馬」が主役。
僕も大好きな竜馬だけど、
維新や明治以降の歴史の背後にも、僕らが教えられているものとは違う真実があるのかもしれません。

人の行動は、その人の持っている情報によって決められていきます。
知識や歴史、経験、常識、価値観によってです。
人を支配したり、コントロールしたり、ある枠の中だけで泳がせておこうと思えば、
その情報をコントロールすればいいわけで、
時の権力者たちは常にそのようにしてきたことを歴史が物語っています。
自分たちの都合のいいように歴史書を改ざんしたり、
世界の大多数が拠り所としてる聖書だって、初期のころ、省かれたり、表現を変えられたり。

誰だったか、面白いたとえ話をしてました。

ある人が四角い家に住んでいて、
四方の窓から眺める景色がその人の情報のすべてです。
東側の窓は「宇宙を見る窓」
西側の窓は「人類の歴史を見る窓」
北側の窓は「死後の世界を見る窓」
南側の窓は「現代社会を見る窓」。

もしも東側の窓が曇ってなかったら、
人類は宇宙で唯一の知的生物ではなくて、
たくさんの同胞がたくさんの星々にいることが見えるかも。

もしも西側の窓が曇ってなかったら、
人類の文明はたかだか一万年程度ではなく、
百万年を超える歴史の中で、文明の盛衰と大陸の変動があり、
今よりももっと高度に発達した文明もあったことが見えるかも。

もしも北側の窓が曇ってなかったら、
人生は一度っきりではなくて、
人の魂は生まれ変わり、出変わりして、無数の経験を積んでいき、
成長していく姿が見えるかも。

もしも南側の窓が曇ってなかったら、
世論も今のようではなくて、
もっと平穏で豊かな暮らしを実現できてるかも。

人はみな南側の窓だけは透明で曇りなく見えていると思ってますが、
実際には9.11にしろ、湾岸戦争の油まみれの海鳥にしろ、
ねつ造され、誘導された証拠がたくさん暴かれつつあります。

もしもそれらの窓が意図的に曇らされてきたのだとしたら、・・・・。

誰が?
なぜ?

黒幕の背後にはさらに黒幕がいて、
そのまた背後に、人形使いがいたりして。

今、少しずつ隠されてきた真実が明るみに出ようとしています。

でもまた曇りガラスから見える景色を信じ込んで、
自分の現実を自分で創ってきたのもまた自分。

そして、自分の殻を破るのは、自分しかいません。

今年もたくさんの人が本当の自分を思い出しますように。

今度の維新は、きっとみんなが主役です。

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