意識的に生きる(32) 〜試験問題〜
2022年2月20日
てらこやを始める1年前。
スタッフを募り、話し合いを重ね、着々と準備してきた。 そして3月、あと1ヶ月で開校という時になって大事件発生。 なんとなんと、中心でやってくれるはずだった女性のスタッフが、体調不良のために急遽できませんという連絡が!! なんですと〜〜〜〜!!!!!!!! 生徒も集まってきて、後は一か月後に始めるだけっていうこのタイミングで、 まさかのドタキャン。 さすがに青ざめたなあ。 だって一か月前だよ。 今から探してその人が体験に来て決めたとして、その人はそれから仕事を辞めたり引っ越しの準備をしたり、・・・。 しかも誰でもいいってわけじゃなく。 僕らの大事にしたいことを共有できる人。 4月からは「ことばとかずの時間」として勉強の時間を1時間入れるということ(開校当初)で、お母さんたちとの話し合いで決まってたから、勉強を教えることができる人。 学校をつくりたいという想いとともに、その中心を担える人。 4月の頭から来れる人。 そんな人とあと1週間くらいで縁がある必要がある、 普通に考えるととても可能性の薄い気がしてくる。 宇宙さん、すごい試験問題出してきた! 「意識が現実を創っている」ことを本当に信頼しているのなら、何の問題もないはず。 ではあるけれど。 これ、なんのお試しですか? それとも昔握りしめていた思い込み、 <俺はいつも9割はうまくいくけど、最後の最後でつまづく> と自分の経験則からくる思い込みが創った現実創造が今ごろ現実化してきた? つい、最悪の場合を、見つからなかった時のことを考えてしまう。 その場合は、例えば僕が中心の役割をするか、 いやだめだ、店やおうちえんや田んぼもあるからそれは年間毎日は難しい。 開校を延期するか、 いやそれも、子ども達は4月転校のつもりで各学校に既に言ってるからそれも無理。 それでも最悪の場合は、俺が中心になるか、延期するか、内容を変えるかとかついそんな対策を考えようとする自分を見つける。 突然の出来事に、思っていたことが雪崩のように崩壊しそうな感覚に襲われる。 そして、新しい人が見つからなかったときのことばかりを考えようとする自分。 いや待てよ。 そっちの可能性にフォーカスしたら、そっちをどんどん現実化しちゃう。 こんなときだからこそ、意識的に、意識をありたい自分にフォーカスさせなくちゃ。 1分1秒気を抜かず。 自分はどうしたいのか、どんな場でありたいのか それは、場を任せられる人にちゃんと出会って、4月からスムーズに始める、 それしかない。 そう、 可能性は無限にある。 その無限にある可能性のバリエーションの中から、どの現実にアクセスするかは今の自分の意識次第。 であれば、今自分のするべきことは何か。 この世界のどこかで、てらこやと出会うために完璧なタイミングで準備をしてる人は必ずいるはず。 そんな人につながるためのアクション、自分にできることは、 急遽スタッフ募集の発信を拡散させるだけだ。 気を取り直して、僕は文章を書いて、 ホームページにアップし、 PC の中にある全てのメールアドレスに一斉送信ボタンを押した。 3月7日のことだった。 てらこやスタッフ急募 http://www.oh-shita.com/slowlife/blog/682.html あとは、まだ見ぬその人とつながるだけだ。 そしてその人とつながる現実から逸れないように、僕がその現実を選び続けるだけ。 今から始める学校が、僕のエゴでなく、この時代のこの星に本当に必要なのなら、 必ずその人と繋がるはず。 自分の出来ることはもうやった。 「人事を尽くして天命を待つ」とはまさにこのこと。 「できることはした。 後は宇宙! お前に任せた!! お前責任とってちゃんとつなげろよ。」 と、空を見上げながら、上から目線で宇宙に強く念じたのをよく覚えている。 あとは宇宙の働きを邪魔しないように、 不安の方に流されないように、 その現実を信じて疑わないように、 1分1秒自分の望む未来にフォーカスする。 僕にできることはそれだけだった。 1週間をリミットに待つことにした。 そして何人かの方から、応募をいただいた。 体験に来てもらい、どの方もすてきな人ではあったが、決めきれないでいた。 しかしもうこの中から決めようと考えていたリミットの3月14日、 茨城から電話が。 この人を最後と思い、3日後体験にきてもらった。 それが今てらこやを中心でやってくれている「まあみん」だ。 20年間、小学生と向き合い、現在の公教育の良さも限界もたくさん経験してきた人。 そして根底にある価値観、教育観、人間観を僕らと共有できる人だった。 あとで、まあみんに聞いた話では、電話も体験に来る日程も、そして決める過程も、少しの時間がずれても来るのは無理だった、奇跡的なタイミングの連続だったらしい。 ジェットコースターのように、精神が急降下と上昇を繰り返した10日間だったなあ。 開校まで2週間。 僕は、試験問題になんとか合格したようだ。 そして、6年。 まあみんとスタッフ、親御さん、子どもたちとともに育ちあってきた結果が、今のてらこやだ。 |