半農半菓
意識的に生きる(3)  〜素粒子の世界〜その1
2007年11月19日
量子力学といわれる分野を聞いたこと、ありますか。
高校時代、物理ほどきらいなものはない、生理的に受け付けなかった僕がこんな話をするのも変だけど。

古来から、人はずっと、この世界の正体と法則を知ろうとしてきました。
例えば、
目の前にある水。
永い年月の後、水はH2Oという分子だとわかり、
この分子は、水素という原子と酸素という原子のひっついたものだということがわかりました。
そして、その原子は原子核と周囲を回る電子で構成されていることがわかったのは、まだほんの100年前。

まずここで驚くべき事実が明らかになりました。
原子の中身は、すけすけの隙間だらけだったのです。
原子核とそのまわりを回る電子、それはまるで太陽の周りを回る惑星のようなものなのですが、その距離からすると、ほとんど空っぽのようなものなのです。
わかりやすく例えてみます。
原子核をサッカーボールの大きさとして東京駅に置けば、それを中心にしてまわる電子はパチンコ玉くらいの大きさで、小田原くらいの距離をぐるぐる回っているようなもの。
ここ、山口県の平生町にサッカーボールを置けば、それを中心に広島市から下関市くらいの距離のところをパチンコ玉が回ってるくらいの距離と大きさ。
広島から下関までの距離を直径とする巨大な球を原子とすれば、その中心にサッカーボールの原子核があって、球のまわりをパチンコ玉が回っているようなもんなのです。
それ以外の中身ほとんどは空!

そしてさらに、その原子核を構成する素粒子といわれるものが発見されたのは、まだほんの数十年前のことです。
量子力学とは、その素粒子を研究する分野。
今までは理論だけの研究だったけど、ここ最近の科学技術の目覚ましい進歩のおかげで、
理論が、実験証明されるようになってきました。
とはいっても素粒子の姿はいまだだれも見たことがなく、ただ痕跡だけをとらえることはできるようになってきました。
その素粒子の性質が明らかになるにつれ、科学者たちは戸惑い始めます。
なぜなら素粒子は物質とは言えないことがわかってきたからです。
素粒子は、現代科学の基礎であった「ニュートン力学」に当てはまらない動きをしたのです。
驚くべきことに、素粒子は
「観測した瞬間しか存在しない」
「どこか別の領域から現れて、どこかの領域へ消える」
「実験結果が人(観測者)の意識によって変化する!」
「観測者の意識によって、結果(未来)だけでなく過去も変わる」のです。

あんまりいろいろ書いても、読まないだろうから、興味ある人はその手の本を読むか、以下のキーワードで検索してみてください。
「シュレーディンガーの猫」
「エヴェレット解釈」
「波束の収縮」
「遅延選択実験」
「超ひも理論」とかね。

素粒子とは、どうも
「ここにもあそこにも、過去にも未来にも、あらゆる時間と空間を超えて、ただよっているエネルギーの波のようなもので、人が意識を向けた瞬間に、この世界に振動としてあらわれて、質量をもって観測される」ようです。
たくさんの知識と権威のある物理学者さんたちは、未だカンカンガクガクやってるようですが、
素粒子の実験結果を矛盾なく説明するには、今までの一般常識を捨て去る以外なくなりつつあります。
物質の正体は、物質ではなく、エネルギーの波と振動だということ。
僕らが知覚している3次元の世界以外の世界があること。
あらゆる可能性の世界が同時並行に存在していること。
そんなわけのわからないものがあると認めるしか、矛盾のない説明はつきません。
ま、だから物理学会、騒然としてるんですが。

スケスケの隙間だらけの原子の中身の唯一の質量、原子核の正体が物質でなく、
エネルギーの波だとしたら、
今僕の目の前に見えるパソコンも、子どもも、僕の手も、いったい何?
この音、この感触、この匂いは、何?

続きはまた今度にしましょうか。
今日はここまで。

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