意識的に生きる(34) 〜試行錯誤〜
2022年7月20日
てらこやの2年めくらいのこと書いたから、ついでにもう一つ、その頃のこと。
てらこや開設当初、そのスタイルに迷っていた。 というか、迷ったまま始めた。 開設前に、何校か特徴的な学校を見学させてもらって、どれもよかった。 それぞれにいいところがあったのだが、このスタイルが絶対いいという確信も得られなかった。 けれど、それぞれのいい部分は、どれも取り入れたいと思った。 あ、スタイルっていうのは、具体的な部分というか、・・・。 核心の部分は、 てらこやの大事にしたいことhttp://www.oh-shita.com/terakoya/about2/ で書いてるようなことで、当初から決めてたけど、 というか、オルタナティブな教育を考えているところは、だいたいそこは一緒。 だけど、それをどう具体的な日々のカリキュラムにしていくか、あるいはしていかないかはたくさんのアプローチがある。 一方の極が公立小学校の在り方とすれば、もう一方の極がサドベリースクールのような子どもがすべてを決めていく在り方。 その中間にある様々なスタイルは、 どれくらい大人が関わるか、関わるにしてもどんな要素を盛り込むか、によってだいぶん違う。 いろんなアプローチのオルタナティブスクールがある。 そして、どれもいいところがあって、どれも取り入れたいと思ったわけだけど。 でも結局はやってみんとわからん。 つまりはまあ、どういう感じで始めたかというと、 ようわからんから、 まずは始めて、 始めてからいろいろやって感じてみて決めよう、って感じ。 だから開校前からどう思っていたかというと、 数年はまあ試行錯誤だろうな、と。 こう思っていたのをよく覚えている。 さて、開校して、 1時間くらい学びの時間をいれてみたり、 きのくに子どもの村学園みたいにプロジェクトいれてみたり、 シュタイナー教育的なものを織り込んでみたり、 サドベリースクールのように、完全フリーにしてみたり、 そうすぐ結果がでるわけじゃないから、それぞれのスタイルをしばらくやる。 そうこうしてると、いつのまにかあっという間に2年がたっていた。 なのに、なのに、 いろいろやってみたけど、定まらない。 これだ!という感じにならない。 なんか、試行錯誤してきたけど、これだ!と決まらんのが続くのも、疲れてきたなあ。 てらこやを始めて、もう2年。 いつまでも試行錯誤を続けるわけにもいかんし、 かといって、なかなか心で、これだ!って思えん・・・・。 結局、まだまだ試行錯誤が続きそうだな。 そう、思ってた頃・・・。 うん? もしかして、試行錯誤、試行錯誤、って言ってるから、 試行錯誤するしかないって思ってるから、 いつまでも試行錯誤状態を続けてる? 俺は、試行錯誤をしたいのか? NO! もう決めて、次のステージに行きたい。 てらこやはこうだ! こういうところだと言いたい! でも試行錯誤してみなくて、こうだと決めれるのか。 うーーん、それはわからんけど、 とにかく試行錯誤するしかないって思い込みが、試行錯誤状況を創り出してるのなら、 試行錯誤するって前決めたのを撤回しよう。 試行錯誤するしかないって思ってるのをやめよう!! もう、試行錯誤は十分。 ありがとう、試行錯誤という経験さん。 今度は、試行錯誤を選ぶんではなくて、 スタッフも子どもたちも、自分が自分になる、なっていく場であることを選ぶ。 と、宇宙に宣言する。 そうして、しばらく過ぎて、 ふと気が付くと、 あれ、自分の心の中にスタイルが定まってきてるぞ。 今までずーーっと、なんかどれもしっくりこんかったのに、 そしてどれかに決まってきたわけでもないけど、 自分たちなりのがぼやっーーーと。 みえてきた!! それは、あえていうなら、 自然農的スタイル。 それはどんなのかは、また別に書こうかな。 ここで言いたいのは、 試行錯誤をやめようって決めたら、 試行錯誤をやめれる状況になったってこと。 自分の意識が迷路を創ってることが多いってこと。 自分の思い込みが、困難を創ってることが多いってこと。 自分が何かを始めて、 なにか苦しくなってるとき、 思ってたことと違うと思うとき、 こうありたいのに、そうなれてないとき、 自分の思考の奥にある、無意識に心でつぶやいてる言葉を探してみるといい。 わからんときは試行錯誤するしかない、とか。 あの人はこうだから私がこうするしかない、とか。 普通はこうだから辛抱するしかない、とか。 お金を節約するしかない、とか。 ・・・・ 試行錯誤はもう終わり! そう決めたら、不思議と試行錯誤を抜け出せた。 いや、不思議じゃなく、自分が作ってた現実だった。 思考の奥に隠れてる思考、ことば。 一つ外すと、人生はその分、シンプルになる。 |