半農半菓
てらいち考
2024年7月16日
TERA
TERA
お菓子屋
お菓子屋
キジハタの刺身、キス、チヌの唐揚げ屋
キジハタの刺身、キス、チヌの唐揚げ屋
カレー屋
カレー屋
サータアンダギー屋
サータアンダギー屋
スムージー屋
スムージー屋
今年も和やかに盛況に終わった「てらいち」(てらこや市場)。
今年は4年生のUとTが、やりたいと企画した。
当初はスタッフ企画のプランだったが、数年前からは、毎年誰かがやりたいと手を挙げて、子どもたち主導で企画される毎年恒例の一日だ。
一か月以上も前から準備する子どもたちもいる。
ビーズでアクセサリーを作ったり、毎日のように釣りに行っては、当日刺身や唐揚げをだすための魚を釣り溜める子も。
そうやって、子どもも大人も出したい人が、思い思いのお店を出店して、毎年盛り上がる。
スッポンを川でとってきて、さばいて、のスッポン唐揚げの店。
占い屋。
いろんなアクセサリー屋。
ジャム屋。
いろんなお菓子の店。
親御さんたちのいろんなお店。
お客だけの人。
美味しいもの、欲しいものを手に入れて、売れて喜んでもらえて、
うれしい、たのしい、時間だった。

だけど今日はあえて、てらいちを「経済」という視点から、考えてみたい。
お金が単なる「交換」のための代替ツールであるという基本機能を忘れてしまうほど、現在の経済システムは、「利子」、「投機」、「貯蓄」という副次機能が歪みをもって膨れ上がり、完全なシステム不全に陥っているのは周知のとおり。
世界はどんどん持つ者と持たざる者に分かれ、その拡大する格差が社会をますます不安定化させていく。
もはや行きつくところまで行って、破裂するしか、気づく手はないと僕は思っている。
経済システムが破裂しようと、どうなろうと、人の営みは続く。
その中で新たなシステムが模索されるのは間違いないし、今でも思慮ある者たちは様々な
模索と実験を始めている。
ひとつの理想は、「お金のない社会」だろうが、それは人の意識が一段上に進化しないと実現はしないだろう。
であるならば、そのひとつ前の段階として、新たなお金の仕組みを伴った経済システムの時代は必ず通る道だと思っている。
この100年、様々な実験や実践をとおして、それは模索されてきた。
いろんな地域通貨、最近ではベーシックインカム、仮想通貨などなど。

今日、てらいちで、てらこや銀行役だった僕は、てらこや地域通貨「TERA」の発行をとおして、いろいろ考察できて、おもしろかった。
人口50人ちょっとの小さな社会。
子どもたちの商品の相場が、
クッキー50〜100TERA
アクセサリー100〜300TERA
だったことから、最初に全員に配るお金は、一律500TERAにした。
これはいわば、今世界中で実験が始まっているベーシックインカムだ。
これで全員が等しく、最低限の必要性にアクセスできる。
500TERA以上にいろいろ買いたい者は、店で売り上げて、利益を出せば、出した分だけ余分に使える。
だし、必要に応じて、TERAが追加給付もされることもある。
そして、TERAは今日このてらいちの2時間でしか使えない。
それはいわば、かつてドイツの経済学者シルビオ・ゲゼルが提唱した「時間とともに減価する貨幣」、あるいは期限付きの商品券のようなものだ。
保有していてもその価値を失うから、使う。
貯蓄や投機に使われることなく、純粋に交換としての機能を促すのだ。
子どもも大人もTERA持ちになったってしょうがないから、どんどん使う。
こうして市場は活性化する。
そして売りたいものがあるのに、買いたいものがあるのに、売買できない状況が生まれると、市場にTERAが足りないのだから、僕の出番。
TERAを追加発行する。
特別給付金だ(^^)
TERAが少なすぎても、喜びの交換が抑制されるし、
多すぎるてもTERAはインフレにはならないけれど、余分な欲望を刺激して、地球や人の健康に害をなす。
どこらへんが喜びの最大値か、見極めながら追加の通貨発行の量とタイミングを調整する。
中央銀行役、超おもしろい!!

世のなかに、ベーシックインカムの社会実験、ゲゼル通貨を実践する地域通貨などは数多あるけれど、その両方を融合した社会実験はあまり聞いたことがない。
今回のてらいちは、まさにその融合実験だったともいえる。
そして、それはけっこう可能性を感じさせるものだった。
一言でいうなら、「喜びの経済」
ベーシックインカムによって、必要最小限の豊かさを保証される世界。
それ以上の豊かさを求める者は、その人の才能と努力によって、自由に増やせる世界。
そして、減価する貨幣によって、お金という機能から、歪みを生む「利子」「貯蓄」「投機」を排除し、本来の機能「交換」のための便利なツールとしてのお金によって成り立つ世界。
稼ぎすぎたYは、残りTERAが少ないSに、TERAをごっそりあげてたり。
たくさん売れ残ってたSのジャムをEが買い取って、みんなに配ったり。
その中では不合理な格差も奪い合いも存在せず、譲り合いと助け合いによる喜びの循環が生まれているように見えた。

人は足らないと思うから、奪い合う。
分け合えば、足りる世界なのに。

現在も、世界のほとんどの人は、目の前のことにいっぱいいっぱいで、
システムに翻弄されている。
誰もが出口を求めてる。
「経世済民」
新たな世界のひな型を、足元から創る。
味わう。
その周波数が、また新たな世界へとつながっていくと信じて。

ほんのひととき、新たな社会を垣間見ることができた。
来年も、誰か子どもたちから、「てらいち」やりたいって声、あがるかな。

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