トラウマからの解放
2008年5月10日
トラウマのことでもう一個思い出したから、書いておこう。
最近、ブログを読んでます、という人に出会うことが多い。 僕からしたらかなり意外なんだけど、「文章がうまい」とか「わかりやすい」といわれることもある。 上手いかどうかは別として、たしかに自分でも、なんとか普通に書けるようになったなあとつくづく思う。 10年前、アフリカから帰ってきたとき、 文章を書こうと思うと、固まってしまう、 簡単な手紙さえ、1時間かかっても書けないくらいだったから。 それを知ってるのは、うちの嫁さんだけだけど。 さかのぼること、30年前、中学一年のとき、 僕は生れて初めてラブレターなるものを友人を通じてもらった。 本人と一度も会ったことのないまま、付き合いが始まり何日かたったころ、 相手が風邪で学校を休んでると聞き、僕は丸一日かけて、生まれて初めての手紙を書いた。 そして数日後、彼女の登校と同時にもらった2通目の手紙。 「あなたの手紙を父にみつかって、まだ早いといわれました。 この話はなかったことにしてください」 僕の初恋は相手に一度も会わぬまま、幕を閉じた・・・。 そしてその後中学時代に別の娘とつきあうが、当時はやってたのが交換日記。 内容の度重なる誤解から、結局ふられる。 今から思えばすっげー純情だった僕。 多感な時期に心に負ったトラウマは、そうとう深かったようで、 以来、僕は文章を書こうと思うと、固まってしまうようになった。 頭の中が真っ白になるのだ。 10代、20代、と僕はほとんど文章ってものを書かない、読まないまま過ごした。 そんな僕が文章を書きたい、伝えたいって思ったのが、 アフリカから帰ってきたとき。 環境問題のこと、世界のいろんな問題のこと、自分が見てきたこと。 人に伝えたいという思いが日に日に募る。 でも話すこと、書くこと、両方とも僕にとっては怖いことだった。 湧いてくる衝動と根深く潜むトラウマとのせめぎ合い。 悶々とした日々がどれだけ続いただろう。 でも、ある日、 よし、動こう! と決めた。 毎月発行の地域ミニコミ誌「ぶち」に飛び込む。 裏面4ぶんの1、3万円分の枠を買い取って、「美しい地球をこどもたちに」という環境問題を取り上げるシリーズを始めた。 高木善之氏の文章を真似して、コンパクトにまとめて。 元高校教師の妻の厳しいチェック。 「おもしろくない」、「わかりにくい」、「これじゃ誰も読まない」、・・・。 ダメ出し何度も出されながら、書いては消し書いては消し、書き始めたこのシリーズ。 ちなみに3万円払ったのは、最初の月だけ。 2か月目から、よく考えたら年間36万円急にもったいなくなり、 ただで書かせてもらえないかと交渉したら、なんとオッケー。 あれから8年。 シリーズももう100回を超えた。 自分でもよく続いてるなあと思う。 でも下手な鉄砲もなんとやら。 数年目には少しずつ自信もつき、 メールの返事も、気負いなく書けるようになった。 (最初はメールの返事書くのにも、書いては消し、で数時間。 妻からはあきれられていたんです(^^;)) その「ぶち」のシリーズが縁で、新聞に連載したり、HPに連載頼まれたりで時々書いていったのが、エッセイ。 そして、今ではブログまで。 ブログになって、妻のチェックからも卒業。 自然体で生きたい僕は、重くなったらすぐにやめよう、 だから3日坊主で終わるかもと始めたこのブログ。 いつのまにか一年越えて、これには本人が一番びっくりしてます。 トラウマだと思っていたものは、いつの間にか消えました。 人って変われる!と僕は思います。 変わろうという意思さえあるのなら。 人も、 世界も、 きっと。 |